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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 5—オ・アンドラーデの『基点』—伯学校の奇妙な授業風景=中田みちよ=第5回

ニッケイ新聞 2013年1月22日付け

 地図のバナナの生産地は高原にあり、房になって金色に塗られているバナナを目にして、先生は「バナナについていいなさい」「バナナは大きいタビモン…」「ばかねえ、たべもの、タビモンじゃない」。生徒の前に立っていたから先生はつい短いつややかな髪を引っ張った。教室で恥をかかされながらマッチョは陰湿な喜びを感じていた。ハエが傷ついた子どもの頭を覆い、太陽が教室の奥の窓を照らしていた。
 うーん、ナカザト・オスカールの『NIHONJIN』にも同じような光景が描出されています。もしかしたら、ナカサトも、オズワルドを読んだのかもしれないなあ。
 オバカといっているけれど、これはお化けのことで、この手のユウレイの話はどこの国の子ども好きなんですよね。LとRの混同はどうしようもない…、大体母国語にない音ですからね。方法は二つ。死に物狂いで口の中に指を突っ込み、舌をこじ曲げながら覚えるか、そんなもん、と開き直るかです。
 ある意味では日本人像を語るステレオタイプ。オズワルドもやはり発音を出しましたね。日本人の特徴といえばまっすぐなおかっぱ頭と発音かあ。そういいながら大脳の回路を忙しく働かせるけど、とりあえず、私もほかに例が思い浮かばない。
 ゼンケンが苛められながら、大柄だといっているからすでに身体的には男性になっているはずで、そこでマゾ的な喜びを感じているのかなあ。マッチョの陰湿な喜びって…そうですよねえ。オズワルドは最終的にサンパウロ大学の法学部の教授になるんですが、どうも、彼はセクハラをやっていたらしいんです。だから、女性は秘書を含めて彼の部屋に行くのをみな嫌ったという、生の声を聞きました。
 ふーん。死ぬまで淋しい王様だったんだ。イヤ、こうなると単なる女好きなのかも知れません。近代化するサンパウロのゼロマークたらん、というのがオズワルドの意図するところだったはずですが、セクハラで終わるなんて…。
 この欄に取り上げる作家には、たいてい好意を抱くんですが、オズワルドだけは反発で終わってしまいました。ゼロ・マークはサンパウロの中央セ広場にあり、観光ポイントになっています。セ教会の前の広場。日曜日のセ広場は閑散としていました。まだ娘時代、人を掻き分けるようにしなければ前に進めなかった広場。
 ここでアコーデイオンを弾きながら吟じた即興詩人やコルデルの本を売っていた人たち。北東伯からやってきたおのぼりさんたちで賑わっていたのは、40年ぐらい前でしょうか。その後トロンバの跳梁がひどく市民が遠ざかるようになり、いまは閑散と淋しい。
 私が訪れたある日曜日、中国からの観光団の一群れがしきりに周囲にカメラを向けていました。ああ、やはり中国は高度成長街道を驀進中だなあ。先年のパリのムーランルージュでも、場内の三分の一を占めていたのは中国系観客だった…。
 たぶん人々が撫でまわすからだろうと思うんですが、大理石の六角形のゼロ・マークはぴかぴかです。建設されたのが1934年ですから、ずいぶんがんばっているなあと。頭部(ちなみに、頭部には、チエテ河をはじめルス駅やイピランガ博物館など主要なポイントが描かれ、六角形の側面は一面ごとにパラナ、サントス、リオ、ミナス、マットグロッソ、ゴイアス各州の特産品が刻まれている)を撫でる私に、話しかけてきた青年は、先ほどの観光団の一員。
 とても洗練されていてインテリ風。「xxxxxxx?」「ノー、ジャパニース」先をゆくガイドに「これはサンパウロのマルコ・ゼロよ」と私。「ああ、そうでしたね。今、言おうと思ってたんす。ゼロ・マーク…」。ガイドは青年にこう言い、「ああ」と青年は笑顔になり、カッコよく私に頷きかえしました。(おわり)