ニッケイ新聞 2013年1月22日付け
「日本に帰れるなら、すぐにでも帰りたい」。そう寂しげに漏らすのは日本生まれの古川ゆみさん(18、三世)だ。
両親共にデカセギとして結婚し、日本で家庭を築いた。生まれ育った栃木県真岡市はデカセギ外国人が多い工場地帯であり、「学校には他にも日系の生徒はいて、自分が特別だなんて感じたことはなかった。周りの友達もそうで、差別なんて意識したこともなかった」という環境で育ち、家庭内の会話も日本語だった。
同市の中学校を卒業したが、そろばん塾や英会話教室にも通うなど、周りの日本人に勉強面で引け目を感じることはなかった。「凄く出来る方ではなかったけど、そんなに悪い成績でもなかったかな。いわゆるフツーですね」
想像すら出来ない未知の〃祖国〃への帰国が、突然決まったのは中学3年の秋だった。志望高校も定まり、友人と受験勉強に励んでいる最中だった。「本当にショックでした。いつかは帰ると聞かされていたけど、あまりにも突然のことで—。何の準備もない中で『4月にはブラジルだよ』って言われて、不安しかなかったです。残れるものなら一人でも残りたかった…」と深いため息をつく。
帰伯までの慌しい時間の中で、満足にポ語の勉強は出来なかった。直前の語学力は「本当に簡単な会話のやりとりが出来るだけだった」という程度だった。
帰伯後はサンパウロ州イツセーバ市の公立高校へ入学。1年生の時は「教師が何を言っているのかも全く理解できなかった。クラスメートともなじめず、親しい友人も当然出来ない。部活動のある日本とは違い、授業が終わってもすることがない」という辛い毎日が続いた。
そんな生活を変えるきっかけとなったのは、日本文化だった。近所に非日系人が師範を務める空手の道場があると知ったのは高校2年に進級する直前だった。「日本にいたら絶対に格闘技なんてやらなかっただろうけど、日本への恋しさもあったし、とにかく生活を変えたかった」
古川さんの話し方やイントネーション、茶色に染めた髪の毛を含む容姿は一見、どこにでもいるフツーの日本人の女の子に見える。しかしここは南米であり、彼女の国籍はブラジルだけに、「日本恋しさから空手を始めた」という言葉には妙な説得力があった。
それからかかさず週4回稽古に通う。昇段試験で色つきの帯も獲得し、今では「空手は生活の一部であり、生きがい。中学校の時の自分を考えれば私が空手なんて…と思うけど、やっぱり日本が好きなんだなって改めて感じました」と話すほど大切な存在となった。
高校を今年卒業、現在はアメリカへの留学に向け準備をしている。「今は漠然と外国語が求められる職に就ければ、なんて考えています。日本で働く選択肢を選びたくなった時、英語も必要なんじゃないかと思って。英語の勉強と空手の稽古が日課ですね」
ポ語にも慣れた2年目以降の高校生活は、徐々にグループの輪の中にも入っていけるようにはなったものの、やはり完全に打ち解けるまでには至らず、その状態は卒業まで続いた。
日本語がわかる友人と思う存分話がしたい—。募る思いから居住地の日系人コミュニティに顔を出したこともあったが、年齢層の違いから中々なじむことは出来なかった。
そんなある日、半ば思いつきのような形でフェイスブックに「Japanese Comunications」というコミュニティページを立ち上げた。(12年7月30日取材、酒井大二郎記者)
写真=「今でも日系人や日本人と居た方が楽」と話す古川さん