ニッケイ新聞 2013年1月24日付け
アマゾンの森林地帯に住む先住民部族の一つであるパカワラ族のボゼ・ヤクさんが亡くなり、パカワラ語が消滅と23日付G1サイトが報じた。
アマゾンには20世紀も終わりになって発見された先住民部族もいたりするが、ボリビア領アマゾンに住んでいたボゼさんはパカワラ族が話していた言語の最後の話者。「彼女の死を取り上げた新聞はなかったが、その死によって失われたものは計り知れない」と伝えるブラジルBBCの報道をG1が取り上げた。
ボゼさんが属するパカワラ族は、18世紀末まではペルー領アマゾンで最大の部族だったが、20世紀末には10人足らずに減ってしまった。
パカワラ族の急激な衰退は、世界中でゴムの需要が増え、アマゾンの開発が進んだのが原因だ。パカワラ族はブラジル人のゴム採取者達に迫害され、ボゼさんの父親も頭を撃たれた後に川に投げ込まれたが、何とか家に辿り着き、事の次第を知らせたという。
部族の仲間が次々に襲われ、生存者はボゼさん一家のみとなった1969年、事の重大さを知った米国の宣教師達が一家をボリビア北東部のアルト・イヴォンに移住させた。多くの先住民同様、ボゼさんは自分の生年月日を知らないが、当時は10代だったという。
アルト・イヴォンはパカワラ語と同じパノ語族のチャコボ語を話す部族の住む土地で、ボゼさん一家の移転の時は、チャコボ族がなたで道を切り開き、200キロの旅を助けたという。
ボゼさんは6人兄弟の一番上で一人娘。BBC記者が昨年9月に取材に行った時、父のパパ・ヤクさんから習い覚えた歌を、これは豚を追う時、これは狩りに出る時に歌うと言いつつ披露してくれたという。ボゼさんは父の再婚相手が生んだ10歳年下の男性と結婚したが子供はいない。弟達は幼くして移住し、パカワラ語は話せないため、ボゼさんの死でパカワラ語の話者は消滅。夫のブカさんは昨年、「自分達が死んだらパカワラの文化も消える」と語っていたが、ボゼさん達のチャコボ語の教師がパカワラ族の言語や文化を残すための基金を募っている間に起きたボゼさんの死は、文化の消滅が近い事も示している。
チャコボ族自体も500人の小部族で、言語や文化消滅の危機の中にあるなど、先住民の言語や文化の保持は様々な困難に直面。ブラジル内で話される部族語も減ってきている。「ブラジルで人権のため戦う10人」という国連支援で出版された本に先祖伝来の土地の回復を目指す先住民2人が含まれている事を18日付本紙でも紹介した様に、先住民の戦いは続いている。