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第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=最終回・第11回=血統より技能が〃結論〃=デカセギ28年の結果を是に

ニッケイ新聞 2013年1月24日付け

 日本で数少ない日系人大学教授、武蔵大学のアンジェロ・イシさん(45、三世)が、帰伯デカセギの成功パターンとして挙げるのはコンクルソ・プブリコ(公務員採用試験)だ。
 連邦、州、市それぞれに福利厚生も厚い。「うまく行っている実例をすでに何人か知っている。立派なデカセギ生活からの脱却例だ。一つの選択肢として、帰伯希望者には日本で薦めているし、下手に新規ビジネスを起業して長年の蓄えをバーにするよりも手堅い」
 ただし問題もある。当地で普通に教育を受けたブラジル人ですら合格が難しい点だ。「すごい競争倍率だから帰伯者大半にとっての処方箋にはなりえない。ただし真面目組にはお薦めできる」という。
 イシさんの見るところ「日本政府は日系人に対し、今以上に日本語能力を厳しく求める方向性にあるようだ」という。であれば、従来の「日系三世までなら誰でも」という形は、もう長くは続かないのかもしれない。
 入国就労資格の厳密化の動きはすでに始まっている。イシさんは「外国人単純労働者はもう要らない」という方向性を日本政府はすでに持ったと見る。「今後求められる外国人労働者は、単純労働力から専門職などへと大きく変化している」という。
 たとえば、日本政府の方針で法務省入国管理局が昨年5月から受付を開始した「高度人材査証」だ。これは学歴、年収、職歴、日本語能力などの項目ごとにポイントを設定し、高得点となった者を「高度人材」と認定して5年間の在留査証を与えるというもの。
 つまり、優秀な人材ほど、入国・在留手続の優先処理、複合的な在留活動や親の帯同の許容などで優遇措置が与えられる制度だ。イシさんは「高度人材枠を使って、ブラジルからいけるデカセギ経験者がいると思いたいが、現実は少ないのではないかと危惧している」とし、そのような模範ケースがないか調査し、7日に日本へ戻った。
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 日本移民の子孫から当地の大学教授が生まれたのは戦後になってからであり、ほぼ半世紀が経過している。だが、イシさんはデカセギ開始から20年も経たない04年に武蔵大学専任講師に就任し、10年から現職に就いた。
 イシさん自身はデカセギではなく元国費留学生だが、デカセギ向けポ語新聞編集長を経験するなどデカセギ時代の中で現在の経歴を築いてきた自称〃在日一世〃だ。彼のような「高度人材」は今後さらに増えるべきだろうし、日伯交流の幅を上に引っ張り上げるものだ。
 その一方で、最大のデカセギ送り出し国ブラジルに10万人が大量帰国したというタイミングを狙って——かどうか分からないが——日本政府は「雇用の調整弁」的な単純労働者の入国を厳しくする方向にあるという事実には、深い感慨を覚えざるを得ない。
 従来のやり方を省みて「血統」よりも「技能」を優先する考え方になった。これが、デカセギブーム28年目に日本が出した一つの〃結論〃なのだろう。
 「日系人は海外の最大の財産」などという聞こえの良い決り文句を、来伯政治家や高級官僚は振りまくが、その本音は法律に現れている。
 デカセギが日本で歓迎されない時代がくるとすれば、帰伯者は当地に腰を据えるしかない。日系社会のどこかに「第2の戦後移民」の居場所を作れないものか。多くの戦後移民は来伯当初、戦前移民の農場や企業で働いて当地の生活を覚えていった。
 一世の高齢化が叫ばれる昨今のコロニアにおいて、日本の文化と言語を身につけた「第2の子供移民」の存在は重要性を増し始めている。デカセギは是か非か——という問いかけに対し、積極的に「是に変える」発想こそが必要な時代ではないか。(おわり、酒井大二郎記者)

写真=「『高度人材査証』で日本に行ける帰伯子弟が出てくることを望んではいるが…」と言葉を濁したイシさん