ニッケイ新聞 2013年1月29日付け
昨年末に結成した戦後移住60周年記念祭委員会(川合昭実行委員長)の初会合となる『第一回委員会』が先月24日に宮城県人会館で開かれ、協賛団体関係者ら約30人が出席した。出席者らが激しい口論になる場面もあるなど、会議は2時間にも渡ったが、具体的な進展はなかった。
冒頭、川合実行委員長から改めて式典及び関連事業の計画案が示された。決定事項として伝えられたのは『第16回日本祭』内での式典開催(7月19日を予定)、同祭内でのブース出展、日本語での60周年記念誌の作成の三点。
これに対し、真っ先に反論の声を上げたのはサンパウロ新聞の鈴木雅夫社長。日本語での作成を予定している記念誌に対して「現状から、まともに書ける人がいるとは思えない。中途半端なものをつくるのであれば意味がない」との持論を展開し、支援事業案などについても「後世に残るような核となる事業がない。しっかりしたものがないならやらない方が良い」と厳しく批判した。
そんな鈴木社長の話を「ちょっと待った!」と遮ったのは中尾契信さん(64、山口)。「携帯電話の普及に貢献した戦後技術移民たちは、ブラジルの生活水準を大きく向上させたのに全く知られていない」との例を挙げ、記録を文章として残すことの重要性を強く説いた。
「問題点はそこではない」と反論する鈴木社長に対して「戦後移民でもないくせに偉そうなことを言うな。やるか!」と握りこぶしを固め、挑発する場面もあり、口論はヒートアップ。会場の外で言い争いが続いた。
その後、戦後移住者協会の小山昭朗会長による日本の青年実業家を招待するプロジェクト案、記念誌のポ語版作成案などの意見が出されたものの、主催団体となる県連の園田昭憲会長が用事で途中退席したこともあり、まとまりのないまま会議の幕は降りた。
川合実行委員長は本紙の取材に対し「とにかく聞いた意見は参考にし、必要であれば新たな専門委員会を設けたい。ブースの内容や担当者、記念誌の編纂委員会のメンバーも決まっていないので、早急に話を進めたい」と述べるに留まった。今後は隔週で委員会を開催していくという。
出席者からは「記念誌や他の事業なんかも、役員たちの自己満足にやっているように思えた」と指摘する声も聞かれた。