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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年2月12日

 2月8日夕、購読者の方から阪神・淡路大震災直後の神戸新聞社の記者が新聞を出そうと奔走する様子を描いた『神戸新聞の7日間』というビデオをいただき、あの年に生まれた娘と共に見た▼空襲後の如く煙が立ち上る町の様子に息をのみ、余りにも重い現実にシャッターさえ切れなくなった記者や、生命の兆候がない故に生き埋めになった父親の救出を後回しにされ、これまでは被災者の痛みや悲しみを真の意味で理解していなかったと書いた論説委員の姿に胸をえぐられる▼1月に起きた南大河州サンタマリアのナイトクラブの火災や各地で起きる水害などでは、各種メディアからの情報に言葉を失った。その場に飛んで行きたくても行けないという経験を繰り返してきたコラム子には、情報を欲しがっている人がいるから何としても新聞を出すという神戸新聞の人達の姿勢は眩しかった▼TVや伯字紙などの媒体を基に翻訳記事を書く2面記者が現場の人に直接触れ、生の声を聞けないもどかしさは、早く現場に戻って写真を撮りたいとあせった同紙カメラマンの気持ちと通じるかも知れない。我々翻訳記者が現場に出れば、「人を撮って来い」と送り出されたのに遺体や遺族の姿を前にシャッターさえ切れなくなった若手記者同様の経験も起きるだろう▼件の記者は「地元の新聞だから地元の人のために頑張って」と励ましてくれた友人を失った後、「彼女が生きていた証を残さねば」と再びシャッターを切り始めた。生活情報や復興に向けた記事を大手新聞に先駆けて載せた神戸新聞。コロニアの新聞は何を伝え、何を残すべきかと改めて問われた気がした。(み)