ニッケイ新聞 2013年2月14日
件の〃飲み屋〃の店主・西村春美さん(76、広島県出身)=エスピリットサント州セーラ市在住=を探して電話し、詳細を尋ねると、まず「飲み屋でなく、レストランです」ときっちり訂正した。「あの店はプリンス・ホテルのロビー奥にあったのでプリンスという店名でした。あの頃一、二世の女の子をたくさん雇っていたので、アインさんという方は覚えてないですね」と語った。
『曠野の星』の記事にも《パンを得る為に暫くアベニーダ・サンジョアンの「レストラン・プリンス」に働いたこともあったが、今は日本人の親切な食堂主のもとに働いて、子どもの教育に専念している…》(59頁)とあり、同店にいたのは間違いないようだ。
坂尾は「駐在していた三菱の商社マンが交通事故を起こしたとき、たまたま居合わせたアインさんが介抱したのが縁で、30代で彼と再婚した。その商社マンが東京に戻る時に一緒に帰国し、彼が退職してヤオハンに重役として迎えられ、そのブラジル進出の時に当地に再赴任し、アインさんも来ていた」という。
田形俊子は帰国の挨拶にきたアインさんを覚えているが、その商社マンのことはまったく知らなかったという。「何も言っていませんでしたから、再婚とかはしてなかったのでは。日本に連れて行ったのは朱実ちゃんだけ。どうして讃南ちゃんを残していったのかは知りません」。
宮尾の記憶では、朱実は日本でテレビタレントになった。「男の子はたしか『こどものその』に入っていたはず。今はもう大人だろうけど。連れて帰ったという話は聞いていない」と証言をした。坂和も「サンジョアキン街のアパートに一緒に住んでいた娘は、のちに日本に帰ってからモデルとして有名になり、雑誌とかに出たと聞いた」という。坂尾も「残った男の子は後にリオに住んでいたという話を聞いたことある」という。
いずれにしても、はっきりした消息は分からない。
ところが押切フラビオ(74、山形県尾花沢市出身、帰化人)は、アインの二人目の夫と三菱商事に6年勤めた時の同僚だったという。「彼が高校の先輩だった縁でアインさんとも知り合いました。すごい美人だった」。押切の記憶では、彼は65年頃にアインと娘を連れて帰国した。
押切は「彼は三菱を辞めてヤオハンに移り、70年代初め頃にサンパウロ市出店した時に財務担当としてブラジルに再赴任してきました。アインさんも一緒でした」。数年間滞在し、ヤオハン撤退と共に再び帰国したという。
日本の芸術家や劇団を当地に招聘している楠野裕司(70、北海道)は、当地と東京を往復する独特の生活スタイルを長いこと続けている。8日午前、「朱実ちゃんなら知っているよ」と編集部にやってきた。「色白の美人、おしゃれで大人しい感じの娘でね。たしか1986年、東京の有楽町線沿線にある自宅マンションに一度招待されて食事をした」という。
やはりアインの夫はヤオハンの重役で、朱実は母と二人暮らしだったという。「裕福そうな生活だった。アインさんとはあまり話はしなかった。朱実ちゃんは『ブラジルとは縁がある。2回ぐらい行ったことある』と言っていた」と思い出す。
宮尾はヤオハン時代に再会したアインから、「日本でも『南十字星は偽らず』の本がなかなか見つからないの。もし手に入ったら教えてネ」と依頼を受けた。その後、偶然その古本を見つけた宮尾は、今も手元に大事にとってある。「いつか約束を果たして渡したいと思っている」。アインは現在87歳、朱実はまだ62歳のはずだ。
それにしても当地に一人残された讃南はどうなったか——。(つづく、深沢正雪記者、敬称略)