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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 6—ジョセフ・M・ルイテン「ブラジルのコルデル文学」—民衆本にうたわれる日系人=中田みちよ=第3回

ニッケイ新聞 2013年3月6日

 在べレンの帝国領事館は閉鎖され、枢軸国人の家屋・住宅の焼き討ちが始まり、その住人は収容所に留置されました。国交断絶で、トメアスーはパラー州の管轄下に入り、州営トメアスー移住地となりますから、ベレンに収容されていた外国人(枢軸国人)たちはトメアスー移住地に収容され、南拓、アマゾニア産業などは財産を没収されます。その当時、こんなコルデルが出回りました。
 日本はヤられるだろう
 日本人は米を食うからでかくなれない
 アメリカ人は三人力だ
 おれたちはほうれん草を食って
 日本人やっつけよう
 ミリチヤシのちっぽけな家に住み
 やつの銃からはアサイの弾がでるだけさ
 日本人の目はチビチのように細い
 日本人は野菜をうえ
 トマトはキャベツのように大きく
 汚れた海水からソースを作る
 日本人は危険なスパイだ
 キャンデイーを売るふりして
 巷の声に耳を傾ける
 日本人はみにくいかえるのようで
 その目はスイカの種のようだ
 まあ、当時のベレン市にはアンデス下りの人がいて、アイスキャンデイーを売っていたという記録もありますから、作り話でもないし、実際、ジャガイモとタマネギしか食べなかった民衆に野菜を供給し食生活を変えさせたのは日本移民ですからね。
 ポパイの漫画が、というよりアメリカの漫画がブラジルでもてはやされていた時で、後に日本のアニメが世界を制覇するようになるなど誰が想像できたでしょう。1908年の導入から1930年代末までは、日本移民には目立った動きがなく、とにかくこの国に定着するための準備で精一杯だったころでした。
 それが、日独伊の枢軸国の成立から北米の強力なプロパガンダが始まったことで、すぐさまコルデルに取り込まれたと見てよいでしょう。
 この小節で私は嫁を思い出しました。産婦人科医である彼女は、インターン実習でトメアスー移住地にいったことがあるそうです。そのときの感想が前記の小節とまったく同じ。日本人とはなんて醜い人種だろう、なんて汚いんだろう、だったそうです。後日、その人種の男と結婚することになるとも思わず…。
 だから「口は災いの元よ」と冷やかす私に彼女は苦笑い。しかし、嫁が実習した頃は85年前後ですから、トメアスーだって、かなり電化されていたはずなのに…やはり、移民の生活は貧しかったということでしょうか。
 さて、前記のような瓦版を発行していたのはフランシスコ・ロッペス社で、紹介したのはゼー・ヴィセンテという人物です。「日本はヤられるだろう(O Japao vai se estrepar、1941)」、 「ブラジルは国交断絶した (Brasil rompeu com eles、1942)」、ゼー・ヴィセンテは弁護士で後に判事になった人物だそうです。
 アポリナーリオ・デ・ソウザも「聖書と第二次大戦(As escrituras e guerra atual、1942)」で聖書の人物を枢軸国に敵対させています。スパイという意味を持つ五列(キンタコルーナ)という言葉がはやったんですね。日系社会の勝ち組、負け組の話にも「五列」という言葉が出てきますけどね。ちゃんと挿入されています。浮世の映し鏡、が、まあ、コルデルの持ち味といえましょう。
 お前は園丁に身をやつしたショウグンたちを見た
 トマトを作っているドットル様もいる
 こんなふうに「五列」は、
 善良なブラジル人の中でうろついているのさ
(つづく)