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「日系人の映画撮りたい」=すずきじゅんいち監督来伯=『442部隊』6日上映

ニッケイ新聞 2013年3月6日

 第2次大戦中の日系アメリカ人の苦悩を描いたドキュメンタリー3部作を発表するなど、独自の路線で撮り続けている日本在住の映画監督のすずきじゅんいち氏(60、東京)が2月26日、日系ブラジル人を題材にした映画制作に向けた予備調査のため来伯し、本紙を訪れた。この機会に6日、文協大講堂で通常の水曜シネマ『赤いハンカチ』の後、午後2時50分頃から代表作『日系部隊442 アメリカ史上最強の陸軍』(10年)が同監督の挨拶に続いて特別上映される。

 海外30カ国で監督兼プロデューサーとして外国の映画製作に協力する中、北米ロサンゼルスに11年間在住、その間に多くの日系アメリカ人と出会い、戦争中の強制収容の実態、その苦難に衝撃を受けた。
 「日本の日本人は日系社会の実態を知らない。一世や二世はもうすぐ亡くなってしまう。映画として記録に残したい」と日系アメリカ人を題材にした長編ドキュメンタリー映画を3本(『東洋宮武が覗いた時代』(08年)、『日系部隊442』、『MIS』(大戦期に米陸軍において日系二世を中心に編成された語学要員部隊、12年)制作した。
 この映画撮影に臨んだ当初、地元から不信感を持たれたと振り返る。というのも、84年のNHK大河ドラマ『大河燃ゆ』に描かれた日米両アイデンティティに悩む日系人像に、地元は強く反発していたからだった。
 反発の背景として、地元日系人は政府に対してアメリカ人、同市民としての権利を訴えて裁判などを起こしてきた。日本への帰属意識に悩む姿があったとしても表に出せるものではなかった、と監督は分析する。
 まず上院議員で日系社会の重鎮・故ダニエル・イノウエ氏と出演交渉を重ね、「あなたが出演してくれないと誰も取材を引き受けてくれない。編集最終段階のものを見てから判断してほしい。それでダメなら削除する」とギリギリの交渉をし、「いざ見せたら凄く喜んでくれた」との展開になった。
 同上議は442部隊を代表する英雄であり、戦闘中に片腕をもぎ取られ、その腕の掌にあった手榴弾をもう一本の手で取って敵に投げつけたという武勇伝の持ち主だ。彼が出演を決めた後、他の元日系兵士らも続々と取材に応じるようになったという。大戦中の苦悩がいかに深いものだったかを伺わせる逸話だ。
 東京でも新宿や銀座など数館で同時公開され、ドキュメンタリー映画としては異例の客の入りを記録した。今回は3部作を1本にまとめた作品の完成試写会をロサンゼルスで行うために渡米、当地にも約1週間寄った。
 日系ブラジル人の映画に関しては「まだ何のアイデアもない。とにかく現地を見に来た」という。「おおらかで開けっぴろげという印象。色々な人と話をして、テーマを決めて取り組みたい」と笑顔で語った。