ベネズエラ=チャベス大統領が死去=社会主義と反米を推進=大衆人気の裏で「独裁者」とも=ブラジルとも関係を深める
ニッケイ新聞 2013年3月7日
癌で闘病中だったベネズエラのウゴ・チャベス大統領が現地時間5日午後4時45分、カラカスの病院で死去した。58歳だった。6日付伯字紙が報じている。
チャベス大統領の死は、政府首脳と遺族立会いのもと、ニコラス・マドゥーロ副大統領によって告げられた。マドゥーロ氏は言葉をつまらせながら「大統領は民衆の愛に支えられながら、民衆の幸せのために戦った」と語り、遺された政権がチャベス氏の死後も結束して同氏の遺志を継いで行くことを強調した。
ベネズエラは7日間の服喪を宣言、埋葬は8日午前10時に行われる。埋葬場所は不明だが、南米からは首脳クラスが参列する予定だ。
エリアス・ハウア外相によると、大統領代行はマドゥーロ氏で、30日以内に大統領選挙が行われる。市街地には、暴動などが起きぬよう、軍隊が派遣された。
1954年生まれのチャベス氏は、陸軍中佐だった92年にペレス政権に対するクーデターを起こした。クーデターは失敗に終わったものの、国民の注目を集めたチャベス氏は98年12月の大統領選に勝利した。
世紀のラ米の革命家シモン・ボリバルに多大な影響を受けた同氏は「ボリバル憲法」とも呼ばれる憲法を発布。「21世紀の社会主義」とも呼ばれた社会政策で福祉を強化し、就任前は国民の20%以上だった極貧層を7%まで減らしたことで貧困層から絶大な支持を得、それを4度の大統領選での当選につなげた。
対外的には反米姿勢を明確にし、従来は従属関係になりがちだったラ米の独立性を示しており、06年にはブッシュ大統領を「悪魔」と呼んで話題となった。同政権成立後、ラ米諸国には左翼政権が増加した。
その一方、マスコミに対する言論統制を徹底、14年の任期中に32人の判事を自ら指名するなど司法にも圧力を加えた上、大統領の任期延長を度々国民投票にかけるなど、独裁主義的な面も見せた。さらに石油のみに頼りがちな貿易を行ったために国内総生産(GDP)が伸び悩み、原油価格の高騰を招くなど経済面では批判が多かった。在任期後半からは暴力犯罪も増加していた。
チャベス大統領とブラジルとのつながりは第2次カルドーゾ政権(99〜02年)からで、同政権時はチャベス氏がカルドーゾ氏を「マエストロ」と呼んで親しくするなど個人的な交友関係は築けたものの、ベネズエラを投資の対象に考えたブラジル企業の進出は不調に終わった。一方、思想的にチャベス氏に近いルーラ政権(2003〜10年)では両者はより接近し、製油所の共同プロジェクトやオリノコ川の橋の建設をブラジルが請合うなどの事業展開が見られた。この関係はジウマ政権(11年〜)でも継承され、12年にはブラジルの後押しでベネズエラのメルコスール加入も実現した。
ジウマ大統領は5日、チャベス氏の死を受け「ブラジルの友人を失った」との声明を発表、さらに8日の葬儀に参列するため、7日から予定されていたアルゼンチンでのクリスチーナ大統領との会合を中止した。