ニッケイ新聞 2013年3月8日
「大野一雄は終戦後すぐに踊り始めました。というか——踊らざるをえなかった。『みんなの魂を慰めないと』と真剣に思ったようです」。最初はドイツ表現主義的モダンダンスだったが、徐々に独自の境地に目覚めていく。特に、一雄同様にカリスマ的なダンサー土方巽(1928—86、秋田)との暗黒舞踊が有名になり、「革命的なダンス、舞踏になっていった」と振り返る。
慶人は若い時から、土方と共演した稀な経験を持つ。「彼がいう〃暗黒〃というのは、実は僕にもよく分からない」と打ち明ける。
最初の頃に土方と共演したとき、顔に黒い覆面をして踊るように指示され、「なぜ覆面を?」と疑問を感じた。その後、土方の故郷・秋田県湯沢市の西馬音内の盆踊りでは、編笠の下に黒い覆面をして踊ると聞き、土着のものを取り入れて現代風の表現に昇華させたと納得した。
「土方さんが死ぬ直前に順番に枕もとに呼ばれました。私が真っ先に呼ばれ、『神だけが怖い』と言われ、ピンとくるものがあった」と思い出す。「前から東北の暗い話をいっぱい聞かされていた。天が真っ黒というイメージ。僕は土方さんはアイヌの系統ではないかと思う」との興味深い分析を披露する。
先住民族アイヌが大陸の騎馬民族によって東北に追いやられていく遠い記憶が、土方の中では、郷里の奇妙な盆踊りの中の民族的なイメージと重なり、そこから〃暗黒〃の一面を描こうとしたのかもしれない。
土方は最初「暗黒舞踊」と表現し、有名評論家の澁澤龍彦は「舞踊の中に暗黒を持ち込んだから価値がある」と高く評価していた。それが現代舞踊協会からは「舞踊ではない」と否定され、逆に海外での評価が高まる中で「舞踏」という言い方が定着してきたようだ。
西洋を身近に感じる家庭環境、秋田という独特の風土、戦争という極限状態、それらのイメージを表現するには、既存の方法では満足できなかったようだ。
英国の演出家ピーター・ブルックス、ドイツの舞踊家ピナ・バウシュ、米国の演出家マース・カニングハムなどの名だたる人物との親交から、慶人は「舞踏は、日本の長い歴史の中で育まれた伝統の要素から生まれたもの。だからこそ、世界中どこに持って行っても通じるものがある」と伝統と現代の融合に舞踏の魅力の源泉があると確信している。
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今公演「時の風」は4〜6日までワークショップを開催し、その参加者約30人と共演する。その一般公募定員は10人だったが、120人が応募する人気振りをみせた。厳選された10人にマクナイマ、タマンドゥア両劇団が加わり、白熱した練習を繰り広げた。
慶人は公演テーマを「人間は変らない本質と、時代によって変っていく部分の両面をもっている。どちらかだけでは物足りない。その両面を今の時代と、ブラジルという場所に合わせて組み合わせ、〃時の風〃という舞台にする」と説明し、「本質と存在の奇跡的な結合でありたい」との言葉で結んだ。(終り、深沢正雪記者)