ニッケイ新聞 2013年3月9日
JICA(国際協力機構)の委託事業「サンパウロ州におけるデカセギ帰国者及びその子弟支援のための心理専門職による支援体制の確立」の一環で、先月16日から27日まで、デカセギ集住地の県庁職員3人が来伯した。同事業では各集住地域でサンパウロ州立大学(UNESP)の心理学部の大学院生をデカセギ子弟のカウンセラーとして派遣している。一行はデカセギ出身国の実状を知り、帰伯者やその子弟の視察や現地協議などを行うため、同大心理学部の岡本メイリー准教授の協力でアシス、マリリア、プ・プルデンテ、バストス、トゥパン各地の州立校、私立校のほか日本人会、教育局を訪問した。
この事業はJICAの草の根技術協力事業(地域提案型)で、実施団体は「多文化共生推進協議会」。外国人が多く居住する県市(滋賀、三重、愛知、長野、岐阜、静岡、群馬の7県、名古屋市)が手を結び、多文化共生社会の形成に向けた取り組みを進めることを目的に、2004年3月に設立されている。
派遣されたUNESPの学生らが、カウンセラーとして日本へのデカセギ労働者やその子弟の実態を把握し、カウンセリングや地域ごとの課題研究などを行うことでブラジルへ帰国した子弟への支援体制を整えることが目的。
プロジェクトは2012〜14年度の3年計画。既に初年度である昨年9〜12月に愛知、滋賀、三重で1人ずつ、計3人を約3カ月間受け入れており、来年度は別の県が受け入れる予定だ。
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リーマンショック後、帰伯した一家にはさまざまな問題がある。幅広い年齢層の子供たちの様子を見聞きしたという一行の一人、三重県環境生活部多文化共生課の堀切孝良さん(38)は「お父さんだけが日本に残って、家族がバラバラになっている例が少なくない」と話す。
ポ語がわからず勉強に苦労している例も多い。滋賀県商工観光労働部観光交流局の武田朋子さんは「年齢が上がっていくと適応が難しいよう。両親の教育に関する意識によってずいぶん違う。ずっと日本語ばかりだったのに、いきなりブラジルに帰ってきてポ語を喋れと言われて、子供が混乱しているように見えた」と振り返る。
帰国者の意識はブラジルへの定着に向いているのか、それとも日本へ帰りたい人もいるのか。3人によれば、「将来お金が貯まったら帰りたいという人もいた」という。
ある例で、日本で育ち、中学を卒業後は溶接工として働いていた子弟が帰国後に出身地のバストスに戻って同じ職で再就職を果たし、重宝がられているという男性がいるそうだ。「田舎のほうが、周りが助けてくれる場合があるようです」と3人は印象を語った。
3県のデカセギの事情についてはどうか。掘切さんによれば三重では永住権取得者が多いといい、定住化志向が強いといえそうだ。滋賀の武田さんは、「日本語教室に通う人が目に見えて増えた」。しかし、「金融危機後に帰国した人は多いが、減ったからといって問題が減るわけではない」というのは愛知県多文化共生推進室の伊藤秀敏さん(28)だ。「帰りたいけど帰れない人もいる。いろいろな問題がある」と明かす。
なお、今後はUNESPでも岡本准教授を中心としたグループが、アシス周辺地域で帰伯デカセギや子弟等を支援するための体制整備や調査を行う予定だという。武田さんは、「子供の将来を一緒に考えられるような、支援の体制を作れれば」とプロジェクトにかける意気込みを語った。