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「知らないことが一番怖い」=高校生平和大使4人が来伯=世界平和訴え、証言活動

ニッケイ新聞 2013年3月14日

 長崎市の市民団体「高校生平和大使派遣委員会」から派遣された、核兵器廃絶を世界に呼びかける「高校生平和大使」の4人が7日に来伯し、8日午前、サンパウロ市サント・アマーロ区の州立タカシ・モリタ学校を訪れ、同校一年の生徒120人に証言活動を行った。一行は12日まで滞在してサンパウロ市各地で現地の高校生や在伯被爆者と交流、核廃絶を訴える署名活動を行った。

 下岡三都穂さん(19、島根)は、原爆投下1カ月後の広島の写真を見せながら、原爆の破壊力、投下当時の様子、ケロイドを発症した人の体験記を紹介した。「アメリカは戦争終結を早め百万人の命を救ったと主張しているが、日本は原爆投下されなくても軍事的にも経済的にも戦争を続ける余裕はなかった。平和のために核兵器は必要ない。一人一人の力は小さいかもしれないが、皆が力をあわせれば大きな力になる」と主張した。
 佐藤仁彦さん(18、長崎)は高校生平和大使の始まり、高校生一万人署名活動、フィリピンの子供たちに鉛筆を送る運動、平和大使の役割などについて話した。「日本とブラジルの距離は遠いが、平和への思いは同じなはず。これからの平和を作っていけるのは若い世代。自分たちの話から感じたことを行動に移してほしい」と呼びかけ、会場からは温かな拍手が沸いた。
 「知らないことが一番怖い。2年経つが、事実を知らないで忘れられていくのが怖い」と講演前に話した高野桜さん(18、福島県南相馬市)は、原発から20キロ圏内の警戒区域に自宅があり、現在も仮設住宅住まい。昨年警戒区域を解除されたが、除染も進まず電気や水道が引かれていないため住める状況ではないという。現状を語った後、「震災から何も変わっていない。福島では家に帰れない人がたくさんいる。復興まで時間がかかるが頑張りたい」と締めくくった。
 4人の話を熱心に聞き入った生徒らは、終了後に列を成して署名を行い、写真撮影や英語での会話で交流を深めた。
 生徒のビニシウス・デ・ジェネローゾさん(14)は「被爆者がアメリカを憎んでいないということが、一番印象に残った。震災は避けられない災害だけど、それを乗り越えた人々が、将来に希望を感じて生きてほしいと思った」と感慨深そうに語り、「被爆した後、どうやって生きる意力を保ってきたのか」と質問していたペドロ・デ・オリベイロさん(14)は、「人間はこんなにも優しく、強いものなんだと感動した。自分なりに感じたことを行動に移して、平和を伝える活動をしたい」との熱い思いをあらわにした。
 平和大使の佐々木沙耶さん(18、岩手県陸前高田市)は、自宅が津波で流され、現在は大船渡市の仮設住宅に住む。「ブラジルの高校生に何かを感じてもらいたい。復興が進んでいない状況を知ってもらいたい」と語り、「みんないい反応をしてくれた。署名をするために並んでくれたのが嬉しかった」と笑顔を見せた。
 これまで、平和大使は07年頃から十数人がブラジルを訪れている。4人を学校に連れてきた被爆者協会の森田隆会長(89、広島)は「被爆者として感銘を受けている。皆しっかりした青年。十分に力を発揮して、世界平和に向けてがんばってほしい」とエールを送り、理事の渡辺淳子さん(70、同)は「人間は自然災害には逆らえず、もろい。意思を継ぐ人が一人でも増え、広がってほしい。言い続けることが大事」と訴えた。