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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年3月16日

 東日本大震災から2年を迎え去る11日に東京の国立劇場で犠牲者らの慰霊を行う追悼式が開かれた。式典には両陛下を始め首相や政財界の首脳らが参列し、あの歴史的な惨劇を胸に描きながら哀しみを新たにし、1万8550人に上る死者と行方不明者の冥福を祈り、一日も早い復興を目指すことを誓った。岩手、宮城両県の三陸沿岸は、昔から津波と地震が多発するところであり、チリの地震による津波で大きな被害を被ったこともある▼古くは平安時代の貞観地震の記録が、延喜元年(901年)の「日本三大実録」にあり「貞観11年5月11日、陸奥国東方沖を震源地としマグニチュード8・3以上の地震と津波があり約1千人が死亡」と記されているそうだ。この貞観11年は紀元869年であり、この当時の人口は450万人と推定されており、千人の死亡は実質的に—今回の大震災よりも被害が大きいと見ていい▼これに加え福島の原発事故があり、南相馬市では1032人が、死へと追いやられている。これまでにもウクライナのチェルノブイリ原発事故などがあったが、日本では初めてであり、自衛隊が救援に出動し、台湾からは民間人が莫大な義捐金を贈ってくれ、悲しみの中に咲いた花一輪とし国民的な話題になったのも懐かしい▼死者が多いのは宮城県石巻市で3409人、ついで岩手県の陸前高田市が1556人だが、このサンパウロにも高田出身の佐々木沙耶さんが「大震災3回忌追悼式」に出席され「苦しいけれども復興に向け頑張っています」と語り、津波で破壊された市街地の再建へ力強い発言をしているのは何とも頼もしい。(遯)