ニッケイ新聞 2013年3月19日
アントニオはサンバのテープを慣れた手つきでカセットデッキに差し込むと、ボリュームをいっぱいにしてかけた。安物のスピーカーのためか音が割れたが、それでもボリュームを下げる様子もなく、後ろに乗っている児玉に気を遣う気配もまったくない。
たとえ注意をしたところで、ブラジル人が素直に音量を下げないことくらいは児玉にもわかっていた。うるさいと言っても、アントニオは「俺はサンバが好きなんだ」と答えるか、「俺が聞いているんだ」と平気で言い返してくる。
ブラジル人は最初に自分のことを考える。自分が楽しいことは他人も楽しいに決まっていると疑うことを知らない。ましてサンバとサッカーに関しては、嫌いな人間がいるはずがないと本気で思っている。結局児玉に残された方法はサンバが好きになるか、あるいはまったく無視するかのどちらかだ。
アチバイア日本人会館の落成式が行われるので、その取材を神林デスクから命じられた。児玉はフスキンニャと呼ばれるフォルクスワーゲンに揺られながら胸のポケットから折原勇作から手渡されたメモを取り出した。取材にはそれほど時間はかからない。仕事を終えたら、児玉は折原のいとこを訪ねてみるつもりだ。
フスキンニャはサンパウロ市内の渋滞を抜けると高速道路に出た。百キロ以上のスピードでとばす横を大型トラックが追い抜いて行く。フスキンニャはその度に風圧に煽られた。アントニオはサンバを聞きあきたのかスイッチを切った。喧しい音楽から解放されたが、それも束の間のことだった。アントニオはしきりに児玉に話しかけてきた。
児玉は片言でもポルトガル語が話せるようになると、社内の二世や三世が自分のアイデンティティについてどう考えているのか、質問をしてみた。
「パパイ(父)は日本から子供の頃やって来た。私は二世の日本人」
「でもブラジル人なんでしょう」
「そうよ、ブラジル人の日本人」
児玉には彼らの言っていることが理解できなかった。中には「二世半」などとふざけているとしか思えない答え方をする者もいた。
「パパイは一世、ママイが二世。だから私は二世半」
分数計算ではあるまいし、「半」はないと思うのだが、答える方は大まじめなのだ。そうかと思えば、まだ二十歳にも満たないアルバイトの美人二世はこう答えた。
「私はブラジル人。でも心は日本人じゃけんのう」
それを知ったアントニオが、ここぞとばかりに聞いてきた。
「二世連中に聞き回っているようだが、そんなことがニュースにでもなるのか」
アントニオは何という愚かな質問をしているのだと言わんばかりに、侮蔑のまなざしで児玉を見た。
「記事を書くつもりで聞いたわけでない」児玉が面倒臭そうに答えた。
「二世の何が知りたいんだ」
「彼らのアイデンティティについてだ」
「二世はジャポネースに決まっているじゃないか。ジャポネースから生まれた子供がアメリカーナ(アメリカ人)になる訳ないだろう」アントニオは大声で笑った。
その屈託のない笑い声とは対照的に児玉は不機嫌な顔をして、車窓に目をやった。それでもアントニオは追い討ちをかけてくる。
「ジャポネース、コレアーノ(韓国人)、シネース(中国人)、俺たちには皆同じに見えるが、どこが違うんだ」
地球の反対側に来たためだろうか、民族、差別、アイデンティティという言葉が空回りを始め、児玉は混乱するばかりだった。日本で考えていた尺度はこの国ではまったくと言っていいほど通用しなかった。とにかく言葉だと児玉は思った。ポルトガル語がわからないかぎり、取材も何もあったものではない。
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