移り住みし者たち=麻野 涼=43回
ニッケイ新聞 2013年3月29日
大学の近くに「青龍」という学生相手の居酒屋があった。一人二、三千円もあれば浴びるほど飲むことができた。偶然にすぎないが、家庭の経済的環境が似通っていたことも互いに引き付けあう要因になっていたのかもしれない。ほとんどが普通のサラリーマンの家庭で育っていた。当然のように彼らはアルバイトに精を出す結果となる。特に地方出身の者は生活費を捻出するためにアルバイトをしなければならなかった。児玉は生活費こそかからなかったが、授業料はアルバイトでやりくりしていた。金子は男子学生のように肉体労働のアルバイトをすることはなかったが、やはり生活費を稼ぐために家庭教師をいくつも掛け持ちしていた。
越生の父親は銀行員をしているが、地方の支店長を勤めることが多く東京にはいなかった。当然、越生も下宿生活を送ることになる。銀行員の子弟といえども、子供一人を東京で生活させるほどの余裕はなかった。
三人はアルバイトを繰り返しながら授業に出ていたが、それ程関心のない一般教養科目は欠席になりがちだった。出席日数の不足は他の仲間が代わりに返事をしてくれたので、最低限の出席時間はどうにか確保をしていた。
試験が始まると、三人は金子に頼み込んでノートを見せてもらった。図書館には一枚十円のコピー機があり、試験シーズンになるとその前には学生の列ができた。都合のつく者がノートを預かり三人分のコピーを取った。そんなこともあって四人の仲は日毎に親しさを増していった。
試験が無事に終わった時やアルバイトで少し金の余裕がある時などは、四人でよく飲みに行った。支払いはその日、金のあるものが払った。その後は西武線の沼袋駅にある折原の下宿に転がり込むのが常だった。四人とも酒が入ると陽気になりまた雄弁になった。
特に越生はいつもはどちらかと言えば慎重な性格だが、酒が入ると気が大きくなった。高田馬場から最終の西武線に乗り込むこともしばしばあった。金子は男三人を意識していないのか、信頼しきっていたのか、折原の下宿までついて来て、徹夜することも珍しくなかった。
その夜も金子は酔った越生の介抱をしていた。前期の試験が終わり、そろそろアルバイトを探さなければならない時期にきていたが、試験が終わった解放感にひたり、久し振りに酔っていた。越生はいつものようにだらしなく酔いつぶれていた。小柄な金子に抱きかかえられて電車に乗り込んだ。
「お前はサッチャンに抱きつくのが目的で酔いつぶれているんだろう」
児玉がからかった。金子幸代はいつの頃からか、サッチャンと呼ばれていた。
「そうだ。お前、本当は酔ってなんかいないんだろう。たまには俺たちとその役を代わったらどうだ」折原も越生に言った。
しかし、越生のほうは本当に泥酔状態で、一人ではまともに立っていることもできない。席が空くと、金子は越生をそこに座らせようとした。しかし、その隣に座っていた男は白い尖ったエナメルの靴に、派手なスーツ、アロハシャツに間違えるようなワイシャツを胸をはだけて着ていた。
「サッチャン、いつも迷惑かけて申し訳ない……」
越生は呂律が回らなくなっていた。
「他のお客に迷惑を掛けるから静かにしていてね」
どう見てもチンピラにしか見えないアロハシャツの男は股を大開きにして座っていた。越生が座るときに、チンピラの足に触れた。それでも男は股を開いたままだった。越生は座ると同時に男と同じように股を開いた。その拍子に越生の膝が相手の膝に激しくぶつかった。
「てめえ、何しやがる」
チンピラが大声で喚き散らした。金子が謝ろうとするのを制して、越生は相手の目をにらみ据えながら言った。
「どうかしましたか……」
「てめの足がぶつかったんだよ。あやまらねえか、この野郎」
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