ニッケイ新聞 2013年4月2日
「あんたが足を大開きにしているからぶつかったんだ。お互いさまだ。あやまるもんか、このチンピラアロハ」 やくざ風の男はチンピラと言われ、冷静さを完全になくしてしまった。 「次の駅で降りろ。話をつけてやる。てめえただじゃおかねえぞ」 あれだけ飲んで千鳥足になっていた越生も座席から立ち上がった。高校時代はラグビーをしていたという越生の身長は百八十センチ以上あった。越生は男を見下ろすようににらみつけた。 チンピラが一瞬、怯んだ。それを悟られまいとして言った。 「てめえ、いい度胸だ」 「武装闘争ではおまえなんかに負けない」 「何をわけのわからないことを言ってやがる」 二人の言い合いを児玉や折原は「またか」というような顔をしながら眺めていた。金子が目で合図をしきりに送っているが、二人はしばらく成り行きを見守った。 「おい、そろそろ行くか」児玉が言った。 「ああ」折原がうなずいた。 二人はチンピラを挟むように左右に立った。チンピラは三人に取り囲まれる格好になった。折原の身長はたいしてないが、その代わり山登りで鍛えた足腰はたくましく、ジャンパーの上からでも盛り上がった肩の筋肉はうかがうことができた。 「どうしたんだ、うるさいぞ。少しは静かにしろよ。他の客の迷惑だ」児玉が言った。 「なんだ、てめえたちは仲間か」 「だったらどうする」折原がドスのきいた声で言った。 三人にとり囲まれてさすがのチンピラも多勢に無勢で怯んだ。 「次の駅で降りましょうか。どうしますか、本気でやりますか」 児玉がチンピラをなだめる口調で言った。学生とはいえ三人がかりでは分が悪すぎた。これでおとなしくなるだろうと児玉は思った。しかし、大勢の乗客の前で引っ込みがつかなくなったのか、チンピラはわけのわからない金切り声を上げて、児玉ではなく身長の低い折原の方に殴りかかった。 折原は予想していたかのようにかわすと、履いていた下駄で相手の向こう脛を思い切り蹴り上げた。チンピラは呻き声をあげてその場にうずくまった。それでも折原は容赦しなかった。今度は下駄の歯で相手の額を上から踏み付けるように蹴った。額が切れて真っ赤な血を噴き上げた。 折原は終始無言で、額に手を当てているチンピラの脇腹を蹴り上げようとした。 「止めろ、もういい。次の駅で降りるぞ」児玉が大声で怒鳴った。 さっきまで酔っていた越生は真っ青な顔をして頷いた。金子はその横で震え、乗客も静まり返っていた。 「喧嘩やるときは、肝をすえてかかってこんね。さもなければいたい目を見ることになるたい」 折原はうずくまったままのチンピラの耳元でささやいた。 電車が次の駅に止まった。児玉は折原のジャンパーを掴むようにしてホームに降ろした。駆け足で改札口を出ると、四人は人が流れる方向に歩き続けた。三十分も歩くと小さな公園があった。 「少し、休まない」 金子が言うと、他の三人も公園のベンチに倒れ込むようにして座った。 「ああ、怖かった。私、まだ震えているわよ」 「すまなかった」折原が言った。 「おまえ、やり過ぎだ」 児玉がいうと越生が、 「いや、今晩のことはすべて俺が悪いんだ」 と、折原をかばった。 折原の下宿は古びた家屋で玄関を入ると六畳間が七、八部屋ほどあった。彼の部屋は三方が障子で仕切られていて、もう一方は押し入れになっていた。帰宅した学生は必ず彼の部屋の横を通り、スリッパの音が聞こえた。さすがの折原も障子だけではプライバシーが守れないと思ったのか、障子の上に白いシーツを掛けてカーテン替わりに使っていた。 著者への意見、感想はこちら(takamada@mbd.nifty.com)まで。