ニッケイ新聞 2013年4月3日
ブラジル日本都道府県人会連合会主催の第39回移民のふるさと巡り(本橋幹久団長=鳥取県人会長)が3月22日から27日まで行われ、バス旅行としては過去最高の4台(163人)がサンタカタリーナ州(以下SC州)を回った。リンゴ生産地として有名なサンジョアキンでは日系組合を訪ね、じっくりとリンゴ園や選別工場、ワイン生産設備を見学した。
一行は22日晩10時にリベルダーデ広場からバスで出発し、翌23日(土)朝8時過ぎに約530キロ離れたSC州北東部のジョインビレ市に到着した。南伯第3位の人口53万人を数え、モジ市(39万人)よりも大きい。ドイツ移民が1851年に入植したことから始まり、かつて「サンタカタリーナのマンチェスター(英国の工業都市)」と呼ばれたぐらいに商工業が盛んだ。
ドイツ系子孫が創始した、同地が誇る水道管などの接続器具会社「チグレ」の保養施設アダモの体育館で昼食後、一行はジョインビレ文化協会の日本語学校教師・大貫アパレシーダさん(62、アサイ出身)の司会で交流会を行った。
パラナ州クリチーバ市に住む大貫さんは毎週木曜から土曜まで教えにくる。学校は15年ほど前に創立し、生徒は20人。「漫画アニメ人気で非日系が多い」という。11月開催のアニメイベント「Hanamachi(花町)」は、一見奇妙な名前に聞こえるが、1906年にアフォンソ・ペナ州知事が同市を「Cidade de Jardim(園芸の町)」と呼んで以来「花の町」と定着したことに由来する由緒ある名前だ。
同地文協の佐藤マリオ会長(65、二世、サンパウロ州アラサツーバ出身)によれば、創立は1993年と新しく、ちょうど20周年だ。「パラナ州やサンパウロ州から仕事をしに来て住み着いた二、三世が多い。大半が医者や技師など自由業。日系同志の絆を深めるために作った」という。現在、州内7団体を統括するSC日系連合協会(FANSC)の会長も兼任する。
一行を出迎えた平良(たいら)幸弘(ゆきひろ)副会長(57、沖縄県那覇市出身)は「日系人は150人ぐらい」と説明する。3歳で親に連れられてボリビアに入植し、すぐにブラジルに転住したという。
08年に同州日系団体に日本政府から和太鼓の寄贈があったのを機に発足した「集(しゅう)太鼓」のメンバーは、非日系を中心に30人もおり、平均年齢は17歳という。交流会で「ぶち合わせ太鼓」など3曲を披露し、一行から喝采を浴びた。当初はパラグアイのイグアス移住地から澤崎琢磨さんが教えに来ていたが、現在はサンパウロ州タウバテ市から海藤洋平(ようへい)さんが来ているという。
聖南西のセザリオ・ランジ市から参加した井上茂則(しげのり)さん(72、愛媛)は「こんな日本人が少ないところで、これだけのレベルの太鼓をやるのは立派」と驚いていた。渡伯以来、バタタ生産一筋54年の元愛媛県人会長だ。
本橋団長は「この町には日系植民地がないから、ふるさと巡りが来るのは初めて」という。第14回以降すべて参加する、ふるさと巡りの調整役の伊東信比古さん(69、大分)は、「今回のバス4台は初めて。アマゾン80周年では220人だったが、あれは飛行機移動が中心だった」と振り返る。同市で一番人気とガイドから紹介された地ビールのOPAを味見した伊東さんは「麦芽の味が濃くて美味い」とさっそく買い込んだ。(つづく、深沢正雪記者)