ニッケイ新聞 2013年4月6日
イタジャイーに一泊した一行は翌24日(日)の朝一番で、南西に180キロほどのサンジョアキン市に向かった。海抜ほぼゼロから標高1400メートルまでバスは4時間で駆け上った。ブラジルで唯一雪が見られる観光地、さらに〃リンゴの里〃として有名だ。 車窓から見える景色はみるみる山地特有の起伏の激しい様子となり、パラナ松がパラパラと生え、あとは牧草地といった光景が延々と続く。
午後1時、現地着。レストランで昼食後、4号車は下元慶郎さん(82、二世、サンパウロ州コチア市生まれ)が経営するリンゴ園を見学した。コチア産組創始者・健吉さんの次男だけあって人気者、次から次へと一緒に記念写真を希望する人が現れる。
慶郎さんは「もう約30年ここでリンゴをやっている。7割はフジ(日本)、3割はガーラ(ニュージーランド)。今まで景気がよかったが、不況で経費が掛かるようになり、最近はみんな苦労している。でも頑張って団結してこの不況を乗り切れば、またいい時代が来ると信じている」と力強く演説した。
最初は15ヘクタールやっていたが今は10ヘクタール(約1万本)に減らし、その分、密度の濃い手入れをしているという。今年の収穫は4月1日から始めると決めており、すでに枝にはたわわに実っている。
参加者からの「リンゴの中に甘い蜜ができるのは何時ごろ?」との質問に、慶郎さんは「4月半ば以降、5月に収穫する完熟したものには蜜がのっている。でも普通は早めに収穫して冷蔵庫に保存するので蜜はのっていない。というのは、蜜があると冷蔵時に長持ちしないから」と分かりやすく説明した。つまり蜜入りのリンゴは、5月中に直接に市場へ出回る季節のものだけのようだ。
入植時の苦労を尋ねると、「僕が入ったのは85年と遅かったから、初期の人が苦労してリンゴ団地を作った後。彼らに比べたら僕の苦労など微々たるもの」と答えた。それでも「この辺の土には岩がたくさん入っていて、それを何回も、何回もほじくり返して取るのが大変だったかな。でも日本から持ってきたマルバ台木が十分に根を広げてくれた」と付け加えた。
SC州が青森県と姉妹県提携をするのもリンゴが取り持つ縁だ。一行の青森県人会長の玉城道子さんも下元さんと、盛んに後沢憲志博士との思い出を語り合っていた。
その後、一行は市中央部のマトリス教会へ行き、07年に59歳で亡くなった二世で同地市議を2期も務めた彫刻家・大槻(おおつき)エウソン清隆(きよたか)さん(三世)の作品を見学した。説明をしたのは息子アンデルソンさん(34)で、祖父はサンパウロ州イタペチニンガ出身だとか。「父はいつもサンダル履きでTシャツ姿、貧乏なまま死んだ。そんな飾らない格好で市民から愛されていた」と振り返る。
州議に出馬して落選、落胆していた時、2000年から独学で彫刻を初めて死ぬまでわずか8年間に700体も完成させた。マキタの工具と歯科技工士用の器具で削り出し、独特の味わいを醸し出す。教会の庭には東洋風の顔をした一石彫りのマリア像、側室には780キロの紅石から心臓を掘り出した作品が展示されている。
「知られていない、埋もれた日系作家がまだまだ居るものだ」と参加者は口々にコメントし、感心した様子で熱心に見入っていた。(つづく、深沢正雪記者)