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人文研・研究例会=細川周平氏がコロニア文学語る=『日系ブラジル移民文学』刊行記念し

ニッケイ新聞 2013年4月6日

 サンパウロ人文科学研究所主催の研究例会が2日夜、文協ビル会議室で開かれ、国際日本文化研究センター教授の細川周平さん(58、大阪府)が講演し、26人が集まって耳を傾けた。
 コロニア文学調査を1991年から行ってきた細川さんはこのほど、1600ページに及ぶ『日系ブラジル移民文学 日本語の長い旅』(みすず書房、歴史・評論編の全2巻)を刊行した。
 「文学の専門家ではないので素人の見方で論じた」とした上で、「移民も旅をしているが、言葉も旅をしている。それを追ってみたいと思った。作品の良し悪しで論じるのではなく、素人、愛好家でどうしてそこまで書けたのか。書いた人の熱意や切実さをくみ上げ、ここの文学の下地がどうできたのかを知りたかった」と調査、執筆の経緯を語り、著書の内容の一部を紹介した。
 笠戸丸から10年も経たない1916年創刊の最初の邦字紙、週刊『南米』には、すでに和歌、俳句の懸賞のページがあったことを挙げ、「作品自体は取るに足らないものだが、その頃から既に文学の兆しがあったということに心を打たれた」と話す。
 戦前の三大邦字紙(伯剌西爾時報、日伯新聞、サンパウロ州新報)にも文芸欄があった。連載小説は最初は日本の人気作だったが、後に地元作家の作品に変わり、テーマは移住生活の苦労話、ブラジル人女性への恋心、日本に残した恋人、親子の断絶などさまざまだった。
 1927、28年頃には雑誌『農業のブラジル』にも連載小説、川柳の作品募集があり、「新聞だけでなく、農業の雑誌も文芸に手を貸していた」と説明する。「読者の作品にページを割くのは日本の新聞特有。メディアの協力は見逃せないものだった。それだけ書き手が多く、草の根に文芸が浸透していた」と分析した。
 戦後に設置され40年続いたパウリスタ賞は「これを出発点に活躍した人が多い」とし、文芸誌『コロニア文学』が創刊された1966年からの11年間を「最も熱かった時代」とした。
 この時代の〃四輪駆動車の四輪〃としたのは前山隆、宮尾進、藪崎正寿、醍醐麻沙夫の4氏。「批評の場を作り、文学熱を高めた」。特に藪崎氏に関しては「準二世のアイデンティティをしつこく書いている。作風が一貫していて、論じがいがある作家」と評した。
 コロニアの最高齢作家でもある松井太郎氏に関しては「個人的には一番好きな作家」だといい、会場を訪れていた宮尾進氏も、松井氏の作品については「コップ(コロニア)の外のことを書いた、それまでにはなかったもの」と指摘した。
 最後に、会場に対して「色々なヒントや助言を与えてくれた皆さんのおかげで、満足いく大きな仕事ができた」と謝意を示して締めくくった。