政治家サッチャー誕生譚=12歳で救ったユダヤ少女=ナチス逃れてブラジルに移住
ニッケイ新聞 2013年4月11日
8日に亡くなったマーガレット・サッチャー元英国首相が〃鉄の女〃と称される政治家になった背景に、サンパウロ市で亡くなったユダヤ人女性との出会いがあったと9日付エスタード紙が報じた。
英国初の女性保守党党首で1979〜90年に英国首相を務め、92年からは貴族院議員の任に就いていたサッチャー氏は、人生で最も印象に残る出来事は1930年代に起きたオーストリア出身のユダヤ人少女との出会いだったという。
ユダヤ系オーストリア人のエディッチ・ムールバウエルさんは、サッチャー氏の姉のムリエルさんが文通をしていた友人だ。
エディッチさんが生まれたオーストリアは、1938年にヒトラーがドイツに統合。当時17歳だったエディッチさんはウィーン在住のユダヤ人17万人が迫害されている事を手紙に書き始めたが、ナチスの迫害は日々激しくなり、遂に母国脱出のための助けを求める手紙を書くに至った。
エディッチさんの父親も「娘をオーストリアから助け出してくれ」と必死の思いで書き添えた手紙は、サッチャー氏の家族の心を打ったが、グランサムの食料雑貨商だった父のアルフレッド・ロバーツ氏には、エディッチさんを脱出させるだけの資金力がなかった。
そこで動き出したのは当時17歳と12歳だったムリエル、マーガレットの2人。ロータリークラブでのキャンペーンで集めた金でエディッチさんを救出し、グランハムの自宅で寝食を共にしたサッチャー氏は、背が高く美しいエディッチさんから、オーストリアのユダヤ人がウィーン市民の面前で道路磨きを命じられた話などを聞いた。
エディッチさんを通して反ユダヤ主義の恐ろしさを知った事で政治家への道を志したサッチャー氏は、伝記執筆のために取材に来たジャーナリストに50年以上を経たこの出来事を語り、伝記の出版はエディッチさんが亡くなってからとの約束を取り付けたという。
サッチャー氏本人をして、サッチャリズムと呼ばれた英国の経済改革やマルヴィナス諸島を巡る戦争ではなく、「オーストリアにいたユダヤ人少女を救えた事が自分の人生で最大の業績」と言わしめたエディッチさん。彼女はその後、サンパウロ市に住む叔父達を頼って1940年に来伯。両親も3年後に来伯した。
サッチャー氏の80歳の誕生日に是非会おうと誘われていたエディッチさんは、それに先立つ2005年7月、アルベルト、ベチーナの2人の子供と3人の孫を残して天国に旅立った。
地上での再会は果たせなかったエディッチさんとサッチャー氏。今頃はムリエルさん共々、再会を喜んでいる事だろう。