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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第51回

ニッケイ新聞 2013年4月11日

 しかし、幸代は泣かなかった。泣けなかったという方が正確かも知れない。激しく慟哭する一世たちの姿に圧倒され、悲しみが萎えてしまったかのようだ。
 帰国船は静かに埠頭を離れた。海からの風に舞っていた雪はいつの間にか霙に変わり、しばらくすると厚い雲からはやがて大粒の雨だけが落ちてきた。岸壁に叩きつけられた雨がチマの裾を濡らした。雪が舞っていた時よりも気温が下ったのか、寒く感じられた。それでも岸壁を離れようとする者はいなかった。鉛色の海を航行する船影を、魂を抜き取られてしまった人間のように呆然と立ちすくみ、じっと見つめている。しかし、泣き叫んでいる者はもういなかった。

 その年の暮れは二人だけの寂しい大晦日になった。新しい年を迎えても、地から足が離れたようなもどかしい気分だった。その後、北朝鮮からの手紙は何もなく、二月になってもなんの音さたもなかった。さすがに仁貞も苛立ち始めた。
 仁貞は毎日、玄関の横にくくり付けた郵便受けを開けることが日課になっていたが、それも四月までだった。業を煮やして彼女は幸代を連れ横浜にある総連に足を運ぶようになった。北から手紙が来ないのであれば、催促の手紙を総連を通じて届けてもらおうと考えたのだ。
 神奈川県の総連は神奈川区にある七階建て雑居ビルの三階にあり、そのフロアが帰国手続きなどの事務所になっていた。入るとすぐにカウンターがあり、そこに帰国手続き用の書類が置かれ、応接室は部屋の隅にソファが無造作に置かれているだけだった。
 彼女の対応にあたった係は話を一通り聞くと、
「オモニ(お母さん)、それなら一日も早く帰国手続きをして祖国に帰った方が家族と再会できますよ」
 と、帰国手続きをするように進めた。
「帰国というが、亭主がどこにいるのかもわからずに、おまけに私は共和国に行ったこともないんだよ。いったいどこに行けばいいというのか」
 仁貞は言葉を荒げた。対応に出たその若い男は、今度はくどくどと金日成の主体思想を語り始めた。それを遮るようにして仁貞が言った。
「そんな難しい話を私にされてもわからないよ。そんなことよりも私は夫と二人の子供の住所を知りたいだけさ。住所がわからないなら偉い人に頼んで居所を調べるなり、私の手紙を届けてほしいんだよ」
 係は急に不機嫌になり、「そうした事務はここでは扱っていない」と席を立ってしまった。仁貞もその態度に腹を立てて、まるで夫婦喧嘩のように大きな声でわめき始めた。
「この礼儀知らずの若造が、何ていう態度だ。こんな年寄りがなけなしの電車賃を払って出てきているんだ。もっと親切に扱ったらどうなんだい。亭主の居所を調べてくれと言っているだけなのに」
 若い係もそれに負けてはいなかった。
「この死に損ないのババアめ、何を言っている。親切に帰国を進めているのに。俺は忙しいんだ。早く帰れ」
 二人の怒鳴り合う声が響き渡った。しかし、わめいているのは二人だけで、他の職員はまるで何事もないかのように自分の仕事に精を出していた。中にはいがみあう二人などまるで気にならないのか、笑いながら話し合っている者もいた。
 仁貞はそれでも気後れすることもなく、
「皆、聞いておくれ、この礼儀知らずの若造をなんとかしておくれ。こんな年寄りにひどい仕打ちをするんだ」
 と、係の若い男をなじり続けた。三十分も怒鳴り続けて疲れると、「この人でなし」と一際大声で怒鳴り、部屋を出た。行く度に同じことを繰り返す母親に、幸代も同行を躊躇うようになった。
 一人で出向いた時など、帰宅してからも仁貞の怒りはおさまらず、幸代に苛立ちをぶつけた。
「総連のあの若僧ときたら口の聞き方も知らないんだよ」


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