ニッケイ新聞 2013年4月11日
2008年のリーマンショックから4年以上が過ぎた。「派遣切り」などで多くのデカセギが職を失い、約12万人が日本をあとにしたとはいえ、今も19万人余が暮らす。彼らはなぜ日本に残ったのか、日本での未来にどんな展望を持っているのか。来伯する在日ブラジル人コミュニティ研究者や関係者は「定住化傾向」と一様に語るが、どんな心理作用が働いているのか——。経済不況、大地震に伴う津波や原発事故などの苦難に相次いで見舞われた日本に、なぜ残ることを決めたのか。年初に1カ月間帰国した折に、3県(三重、岐阜、愛知)の集住地を訪ね、実際に話を聞いてみた。(全9回、田中詩穂記者)
「気を付け、礼!」。1月17日昼頃、日直の女性の声が教室に甲高く響いた。
地域の外国人住民の生活支援を行うNPO法人「愛伝舎」の事務所の一室では、介護ヘルパー養成講座を受講するエプロン姿の女性15人が一斉に頭を下げ、席に着いた。まるで日本人のようだが、ブラジル人13人、ペルー人1人、パラグァイ人1人というのが受講者の内訳だ。
三重県西部のJR亀山駅まで坂本久美子さんに車で迎えに来てもらい、鈴鹿市内の事務所へ移動した後、最初に接したのが冒頭の光景だった。
壁には「〜です。〜ます。はい。もういちどおねがいします。まってください」などの日本語が大きく平仮名で書かれた紙が貼られ、奥には実習用の介護ベッドも並んでいる。
三重県庁の発表によれば、県内在住の外国人人口4万2千人弱のうち、最も多いのはブラジル人だ。1万2674人と全体の約30%を占めるが(12年末時点)、08年の2万1487人を境に4年連続で減少している。
鈴鹿市の人口約20万人のうち約7500人が外国人で、半分近い約3千人がブラジル人。坂本さんが代表を務める愛伝舎はこの町を拠点に、地元企業のブラジル進出のサポート、「三重県多文化共生を考える議員の会」事務局業務など、多岐にわたって活動する。
介護人材育成事業(2級ホームヘルパー養成講座)は、09年からJICAの委託事業として開始し、2回目からは県との共催事業として実施している。4カ月間の講座には授業、実習のみならず就職活動も含まれ、介護のための日本語学習、試験の面接対策や日本食の調理実習なども行う。
充実した内容だけに受講希望者は多く、倍率は2倍以上の人気だ。選抜にあたっては日本語での試験や面接を行い、人柄も重視する。
坂本さんは真面目な顔で「ずっとやりたかった事業。外国人はホスピタリティ(歓待する心)があるので向いている」と話しながらも、「特に高齢の男性は金髪のヘルパーさんが来ると喜ぶみたい」と冗談めかして笑い飛ばした。
その日、7期の受講生15人の授業風景をのぞくと全員が女性だった。市内のほか津、四日市など県内各地から来ている。その中で20年以上日本に住む人は6人、就学中の子供を持つ人は7人。年齢は20〜50代と幅広く、6人は永住志向だった。
授業の合間の忙しい時間だったが、2人の受講生に「難しそうだけど、理解できますか?」とぶしつけに尋ねると、「だいたい理解できる。専門用語が難しいけど」と返ってきた。
さっそく取材の旨を伝え、日本に残った理由を尋ねてみた。(つづく)