ニッケイ新聞 2013年4月12日
サンジョ組合の新商品Sanditoの100%生リンゴジュースは特に「味が濃い」と好評で、150グラム当たり10個のリンゴが入っているというから当然だ。でもいくら良い製品を作っても販売手腕が物を言うのが、商売の世界だ。
そして、うまい話にもちろんタダはない。元々その年の気候に強く左右され、競争が激しいから利益率も高くない。その中で売り上げの2%をロイヤリティとしてディズニーに収めなければならず、清水信良組合長も「ほんと高いよね」と痛し痒しといった様子だ。
夜10時頃、交流会の最後は、荒木滋高さん(しげたか、80、三重)=ブラジリア在住=のハーモニカに合わせて、全員で恒例の「ふるさと」を大合唱し、握手で別れを惜しんだ。
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一行は午前8時過ぎ、カウダス・ダ・インペラトリスの温泉ホテルに向かう途中、断崖絶壁の景色で有名なアウミランテに立ち寄ってから、同リゾートホテルに泊まった。
到着直後、参加者の四條幹さんの体調が悪くなり、添乗員が強く薦めて緊急入院する一幕もあった。娘が医師の関係で、同病院の担当医と娘が直接に連絡を取り合い、研究検査後にサンパウロ市に運ばれることになったという。
天理教の伝道師をする西沢定子(さだこ)さん(83、三重)はもう10回以上このツアーに参加している。「目が悪いから風景とか全然見えないんだけど、皆さんとしゃべるのが楽しみ。出身県を聞いてそこの民謡を歌うと皆さん喜んでくれるの。知り合いになるのが生きがい。私は115歳まで生きるのが予定」と一気にまくし立てた。
一方、コチア青年の森本勝一(77、高知)、美栄子さん(75、二世)夫妻=サンロレンソ・ダ・セーラ在住=は参加者名簿に、1960年にスザノ市の同じ「日の出植民地」に入った小池みさ子さんの名があるのに気づき、添乗員に紹介してもらい約50年ぶりの再会を果たした。
森本さんは顔を見てすぐに分かったが、小池さんの方はポカンとしていたので、「あんたボケたんか」というと、彼女は「あっ!」と分かったという。
森本さんは「あの頃はご飯とフェイジョン、たまにイワシの塩漬けが普通の食事。パトロンも同じものを食っていた。モルタデーラとガラナがご馳走だったな」と懐かしむと、小池さんは「みんなでバタタを植える作業をして、その後、ご馳走がでるのが楽しみだったわね」と相槌をうった。
小池さんはその時の情景をこう詠んだ。
《とっさには思い出(い)だせず移住初期つき合いし人に出遇うも》
こんな短歌が生まれるのも旅の醍醐味だ。
最後の夕食となった26日晩、本橋幹久団長は皆を前に「これで主な集団地は一通り回った。次回からは今まで回ったところを2度目、3度目に訪ねることになる」と挨拶した。
一行の神林義明さん(76、長野)は「実はサンジョアキンに入植しようと思ったこともあった」と明かす。「だって兄がリンゴ作りをやっていたし、後沢先生は長野県の須坂園芸場長をされていたから、日本にいた頃から面識があった。心が動いたね。でも子供が小さかったし、リンゴの苗を植えてから4年間も無収入だって聞いたから泣く泣く諦めた」としみじみ語った。
翌日朝8時過ぎに出発して一路サンパウロ市を目指した。参加者はそれぞれが感じた感慨を胸に、午後10時過ぎにリベルダーデ広場で解散した。(終わり、深沢正雪記者)