ニッケイ新聞 2013年4月12日
県連故郷巡りの一部がSC州都フロリアノーポリスへミニバスを借りて出かける追加ツアーに加わった時、サントアントニオ・デ・リスボアという鄙びた海岸に寄った。ブラジル人ガイドの「ここには島最古の石畳がある。18世紀中頃、島で最初に文明化された場所の一つ」との言葉を聞き、ピンとくるものがあった▼ここが若宮丸漂流民4人を乗せてきたロシア軍艦が1803年に停泊した場所ではないかとガイドに聞くと、その歴史自体を知らず、ガッカリした。1793年に石巻を出港した「若宮丸」が難破して16人がロシアに流れ着いた。うち4人を乗せたロシア軍艦が嵐に遭って破損箇所を修理するためにデステーロ港(現フロリアノーポリス)に立ち寄ったとの歴史で、初めて世界一周した日本人先駆者たちだ▼『埋もれ行く拓人の足跡』(鈴木南樹、67年)で確認すると、やはり「おそらく北口から進航して今日のサント・アントニオ・リスボーア付近に錨を下ろして停泊したものと思われる」(10頁)と指摘している▼だがニッポ・カタリネンセ協会サイトで確認すると「サンタナ要塞近くに停泊」とあった。古い大橋のたもとに建っている建物だ。南樹の指摘する地点で小舟に乗り換えて、要塞に上陸したとも考えられる▼宮城県には「石巻若宮丸漂流民の会」が01年に創立し、同州都側にも若宮丸協会が11年に発足した。州都セントロの文化センターに記念碑はあるが、肝心の同要塞にはなにもないという。7月に創立60周年式典をする宮城県人会と協力して、最古の日伯関係210周年を記念し、地元ブラジル人にも知れ渡るような何かができないか。(深)