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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=岐阜編=最大手雇用企業が閉鎖—=偏ったマスコミ報道?

ニッケイ新聞 2013年4月16日

弁護士事務所、美容院、派遣会社、輸入雑貨店などが入っている美濃加茂市の多文化交流センター

弁護士事務所、美容院、派遣会社、輸入雑貨店などが入っている美濃加茂市の多文化交流センター

 大手電機メーカー、ソニーの子会社でエレクトロニクス商品の製造・修理などを手掛けるソニーイーエムシーエス株式会社(東京)の美濃加茂市の工場「美濃加茂サイト」が3月末で閉鎖すると昨年10月に発表され、大手マスコミの「揺れる美濃加茂」報道が飛び交った。
 昨年10月末時点で、全就労者2千人強のうち非正規は約1600人。このうち約半数が外国人で、大半が同市(500人)、可児市(290人)に住んでいると市は推定した。
 市内で最も雇用の多い企業の突然の閉鎖—。正規職員はもちろん、非正規従業員の大半を占めていた日系ブラジル人を含む外国人、町全体の悲痛な声が報じられ、雇用対策の必要性が指摘されていた。
 美濃加茂市は人口約5万5千人、外国人住民は4千人強を数える。かつては全人口のうち1割以上を占めた外国人集住地だ。ブラジル人人口は2198人(3月現在)で最も多いが、金融危機後の09年4月の3463人からは一千人以上減った。
 閉鎖の発表を受けてすぐ、市は緊急経済対策会議を開き、県庁やハローワークにポ語、タガログ語での相談窓口を設置した。しかし、発表から3カ月間で300人近くのブラジル人が市を離れたとのデータもある。

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渡辺マルセーロさん

渡辺マルセーロさん

渡辺マルセーロさんの運転する車は、10分もしないうちに「多文化交流センター」と書かれた看板が掲げられた2階建ての建物に着いた。教会、派遣会社、輸入雑貨店、弁護士事務所、美容院、マルセーロさんの行政書士事務所が、友の会の事務局も兼ねている。
 ただし、建物は4月に家主の都合で処分されることになり、事務所移転が必至となっている。
 友の会に関して昨年4月、「リーマンショック後に政府や県が外国人の失業対策として設けた補助金の多くが打ち切られたことによる影響で、事業縮小の危機」と日本のメディアが報じていた。
 マルセーロさんに確認すると、むしろリーマンショック後に実施された「日系外国人緊急支援事業」に同会は参画し、対応に追われたという。現在もポ、英、中国語での生活相談、公立小中学校に通う外国人児童・生徒への放課後学習支援、ポ語教室などを行う。
 ただし、授業料を支払えない人も多く、会は事実上赤字状態だという。相談業務も週6日から2日に削減した。可児郡在住の後藤佳美さんが唯一の専任職員だったが退職し、事務局員は誰もいない状態になった。
 引き続きボランティアとして会にかかわる後藤さんは、「金融危機後は市からの委託事業が多くて拡大していた。でも、もともとは学習支援の任意団体。元の規模に戻っただけ」と冷静にコメントする。厳しい状況ではあるが、友の会としては活動を継続していく方向のようだ。
 つまり「事業縮小」という報道は、赤字で職員を減らしたなどの表面上のことであり、むしろ、外国人の実態からすれば以前より必要度の高い存在となったようだ。
 マルセーロさんにソニー問題については尋ねると、「(工場の従業員をターゲットにしていた)レストランや不動産業者、ガソリンスタンドなどへの影響が大きいみたいです」という一言にとどまった。
 「日本のマスコミがさかんに報道していたと思うんですが」と言っても「そうですね…」と、それ以上は言わず、「帰った人も何人かいるけど、残ろうとしている人が多いと思う」とだけ言った。(つづく、田中詩穂記者)