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米国日系人の食卓コラム=私のログキャビン・スキヤキソング=ニムラ・タミコ(著)=長 里子(訳)=(下)

ニッケイ新聞 2013年4月17日

奥にすき焼きの鍋がある。ニムラ家のお正月料理の様子

奥にすき焼きの鍋がある。ニムラ家のお正月料理の様子

 わが家のログキャビンシロップ入りレシピは私のお気に入りでしたが、以前、異性化糖問題があった時期は使用を控え、代わりにメープルシロップを使いました。でも、私が好きなレシピは、やはりログキャビンを使ったものです。ログキャビンは、私にとっての典型的日系アメリカ人家庭料理の中の、典型的な新天地アメリカの家庭そのものなのです。
 私たち一家にとって、食事と家庭は同義語です。他の人たちは、家族で集まる時山小屋を借り、Tシャツ姿で過ごすというスタイルかもしれませんが、私たちは料理をします。お正月は毎年このように過ごし、かれこれ60年間ずっと続いています。これが私の基本形であり、年に1度の特別なイベントなのです。
 私は、自分を特に伝統的な日系人(またはフィリピン系アメリカ人)と思ったことはありません。大学と大学院進学のために家を出て、結婚後も名字を変えていません。私が結婚した相手は、人前で私のバッグを持ってくれるし、娘が頼めばティアラを頭に乗せ、ズボンだって自分で直すような人です。私は、自分がお子様席から卒業できる年齢に達した、と感じた時から(実際はどうあれ、「感じた」とは便利な言葉です)お正月のすき焼き作りを始めました。なぜすき焼きなのか、疑問に思うこともありましたし、おばの1人が、「今年のすき焼きは美味しかったわ」と言う時、なぜそれがそんなに大事なことなのか、疑問に思うこともありました。でも、伝統というのは、その答えのほんの一部でしかありません。
   △3▽
 私がすき焼きを作る本当の理由は、家族の食卓に父を呼び戻すことにあります。
 父は、比較的若くして亡くなりました。父は52歳で、私は10歳でした。父の死に私は深く傷つき、25年以上経った今、この痛みとどう向き合えばいいか、ようやく考えられるようになりました。毎年お正月に欠かさず集まるのは、父方の家族です。父の5人の兄弟、息子、娘たちが集合します。父の話はあまりしませんが、思い出を避けようとしている訳ではなく、亡くなってからずいぶん経つからです。父の話はもうあまりしなくなりました。
 真ん中っ子の父は、仲間を招いて豪勢なディナーパーティーを主催し、同時に自分で料理ショーを披露する友人であり、叔父として甥っ子や姪っ子たちのスクラブル(単語を作成して得点を競うボードゲーム)やチェスの手厳しい相手となり、妻のために小さい娘たちが母の日のカードを何枚も書いて祝うよう促す夫でした。私と妹がお正月に家族を訪ねることで、私たちは父を食卓に呼び戻しているのかもしれません。
 私たち一家は、言葉を交わすことより、集い食べることで繋がっています。そんな私たちにとって、すき焼きは会話であり、コミュニケーション手段です。そしてそれは、私たちの愛する生者と死者、双方への敬意を表す一つの方法なのです。
(終り。この記事は、レメディー・クォータリー誌第7号のHeritageに掲載されたものです)