ニッケイ新聞 2013年4月19日
「パステル」の起源として前回、中国系移民から広がったという説を紹介したが、ミナス州イタジュバ在住の河合五十一さん(101、愛知)から先日来た手紙を読んでいたら「1941年に移転、パステス作りをしたら大当たりで、縄跳びなどしてみせたので町一番の人気者になりました」とあった。河合さんは08年4月の県連故郷巡りの時も、当時96歳で縄跳び、腕立て伏せを披露して、みなを驚かせていた▼早速ネットで調べると河合さんの記事(09年9月23日)がイタジュバ・ノチシアス社サイトに出ていた。同地メルカード・ムニシパルにあるそのパステラリアは今も家族が続けており、この5月で創業なんと72年! 現存する最古の同種店の一つだ▼その記事で妻シズコさんが答え、「バストスに住んでいた時に、母がある日本人からパステルの作り方を教わった」とある。しかも41年に河合夫妻が同町に来た時、「ここには(皮の部分が)ミーリョのパステルしかなかったので、私達のは小麦粉だったのでノビダーデだった」と回想している。戦前のバストスの話が出てきて、ポルトガル系、イタリア系が大半だった同町にミーリョのパステルが元々あったとなると、中国移民起源説には疑問が生まれる▼河合さんの手紙の中ほどには「これが小生最後の便りとなるでせう」とあるのを読み、とても寂しく感じた。でも最後には「次の故郷巡りで小生を思い出す女性が居られたら、『今も健康であり、顔にはシワも出てない』と言ふて下さい」とあった。この気の〃若さ〃こそ、長寿健康の秘訣に違いないと納得した。 (深)