ニッケイ新聞 2013年4月23日
2012年以降は犯罪激化が苦慮されはじめたサンパウロ市だが、それ以前の約10年間は殺人事件数が激減していた。その背景には若者の間での流行音楽の嗜好の変化などもあるという。22日付エスタード紙が報じている。
サンパウロ市の死亡率調査計画(PROAIM)によると、2000年は年間5979件の殺人事件が起きたが、2011年は1172件に減った。これは00年の曜日ごとの集計で、最も事件数の多い土曜日の1173件とほぼ同数だった。11年も土曜日が最も殺人事件数が多かったが、00年の5分の1以下の213件に止まっている。
人口10万人あたりの殺人事件発生率は、00年の57・3件が11年は11・8件にとほぼ80%減少した。エスタード紙は、この様子を「週末の殺人減少はサンパウロ市の青少年たちの寿命を長くした」という見出しで表現。若者たちの間で流行る音楽の歌詞や種類にも変化の様子が表れていると報じている。
1990年代のサンパウロ市は人口増加の激しい近郊での犯罪が多発。近郊で生まれた子供は、25歳まで生きていれば「生き残り」と見られた。当時流行ったヒップホップでは、ラップ歌手たちが暴力で荒廃した近郊の日常を「25歳まで生きられれば幸運」と表現した。00年には15〜24歳の殺人事件犠牲者が2247人いた。
他方、15〜24歳の殺人事件犠牲者が327人に減り、25〜34歳の344人よりも少なくなった2011年に流行っているのはファンキで、消費が大量化し比較的平和となった世を背景にした享楽感が、荒んだ現実よりも好まれているという。
なお、州都第1コマンド(PCC)と軍警の対立激化により殺人事件の急増した12年のデータはまだ未集計だ。