ニッケイ新聞 2013年4月23日
岐阜県美濃加茂の多文化交流センター近くにあるブラジル食料品店「クリチバ・ショップ」へ立ち寄った時、そこで働く日系人女性に話しかけると「ソニー工場閉鎖の後はお客さん減ったわね」と予想通りの回答を口にした。「でも美濃加茂は落ち着く町。サンパウロは住むとこじゃないでしょ。ブラジルもいいところだけどね」とラテンな笑顔を浮かべたのが印象深い。
今回、三市を回って話が聞いた中では、結果として「日本寄り」の人の方が多いことが気になった。それぞれ状況は違っていたが、共通していたのは一様に「日本(あるいは住む町)はいいところ」と言っていた点だ。
思えば「日本寄り」だからこそ彼らは残ったのであり、元々「ブラジル寄り」だったデカセギは、危機後の大量解雇の嵐ですでに帰伯しているに違いない。残った人々に「日本寄り」が多いのは当然といえる。
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連載の冒頭で紹介した三重県鈴鹿市の「愛伝舎」のヘルパー講習を受けていた7期生15人中、一人は途中で辞めたが、残りはこの3月に無事修了し、うち13人はすぐに採用されることになった。
そんな「日本寄り」が多い在日ブラジル人にとって、現在は日本社会適応への過渡期なのかもしれない。一人ひとりが試行錯誤を重ね、日本社会に新しい役割を見つけ、居場所を作っていくのだろう。
日本では危機後、多くのブラジル人学校が閉鎖し、同様に篠田さんのコレジオも危機的状況にあり、4月現在で「再開の見込みは立っていない」という。田中マルリさんは、自らも決して楽ではない状況ながら、ブラジルに帰ろうとは考えていない。
「帰伯したくても適わず、学ぶ場を失ったブラジル人子弟に手を差し伸べる」という使命感を持つことで、彼女は自分が日本にいる意味を見出しているようだ。彼女は在日7年目ながら、日本を自分の〃新天地〃と考え、懸命に希望を失わないようにしているように見えた。
ブラジルでは、一世中心だった時代の日系コロニアは、日本寄りの心理性向を強く生じ、日本よりも日本人らしい二世が多く育ったことは歴史が証明している。何年過ごしても一世には望郷の思いが強く、NHKを観て日本語の本を読み、たびたび故郷へ足を運ぶ。
同じ心理作用が〃逆向き〃に日本のブラジル人社会に働き、よりブラジル人としての自覚を強める力が働いているようだ。だから、日本では「ブラジル人」として振舞う。そんな作用が「日本寄り」だが「ブラジル人」という複雑なアイデンティティを生んでいるのかもしれない。
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危機前に31万人いたブラジル人は現在20万人を切った。なぜ彼らは日本に残ったのか。どんな将来を夢見ているのか——それを知ろうと訪ねて回ったが、答えは単純ではなかった。
子供のため、日本が好きだから、いい国だから。たしかに尤もな理由にも聞こえる。だが、そこから伺えるのは、ただ積極的に日本を選んだというよりは、長く日本にいたために帰伯した後の生活が想像できなくなったという〃浦島太郎現象〃的な不安感が強いという気がした。その不安感から、ブラジルを捨てた気はないが長い時間日本にいるうちに、結果的に自分の居場所は日本にあると思い込むようになったのではないか。
今回話をしてくれた在日ブラジル人らも数年後、あるいは何十年後かにどうなるのか——。そんな在日ブラジル人がどんなコムニダーデを作っていくのか。それは、当地のコロニアに似たものになっていくのか、それとも裏返しのような存在になっていくのだろうか。(おわり、田中詩穂記者)