ニッケイ新聞 2013年4月30日
この実を一度水にさらし、表皮を取って乾燥させたものが白胡椒になり、そのまま表皮ごと乾燥させれば黒胡椒になる。
「忙しい時は、実を踏みながら台所で夕飯の用意をしたこともあったよ」
彼女も必死に働いたが、聖ステパノ農場の崩壊を食い止めることはできなかった。結局、彼女がトメアス移住地にいたのは一年足らずだった。
トメアス移住地を出た叫子はベレンから約一千キロほどアマゾン川を遡ったサンタレーンで半年、再びベレンに戻って半年ほど暮らした。
「どちらも日本食のレストランで働かせてもらっていたの。でも食べるだけで精一杯なのよ。生活を立て直すにはサンパウロに行くしかないと思って、それでサンパウロに出て来たの。忘れもしない一九七一年の暮れのことよ」
ベレン・サンパウロ間は、直線距離にして約三千キロ。彼女はまずブラジリアに向かい、そこでバスを乗り継ぎ、サンパウロに向かった。
「三日三晩かかって、サンパウロのロードビアリア(バスターミナル)には十二月三十一日の朝に着いたの」
「それからずっとサンパウロですか」
「そうよ」
二人はビールを飲みながらしばらく話し込んでいた。店が混んでいたのか、寿司屋といえどもラテン的なのか寿司が運ばれてきたのは注文してから三十分以上も経った頃だった。
「はい、お待ちどうさま」
はっぴ姿の二世の店員が寿司をカウンターに置いた。
「食べましょう」
「ええ、いただきます。寿司なんて食べるの、本当に久し振りだわ」
叫子は屈託がなかった。寿司安のネタは新鮮で、板前も日本で修業してきた職人とあって味の方もガルボン・ブエノ街では評判が良かった。
「私のこと変な女だと思っているでしょう」寿司をつまみながら叫子が言った。
「そんなことはありませんよ」
「うそばっかり」
「なんでそんな風に思うんですか」
「だってモブラールで勉強している日本人なんてまともだと思えないでしょう」
「それじゃ、私もまともではないと言うことですか」笑いながら小宮が聞き返した。
「そういうことではないけど……。私は経済的な理由だけど、小宮さんはまさかお金がないということではないでしょう」
「経済的な理由ではありませんが、ポルトガル語しか使えないところで勉強するのが早道かなと考えたんです」
「ところが私みたいな変な日本人がモブラールにいたということね」
「変な日本人ということはありませんよ」
「そうね、日本では黒い肌の女は珍しいけれど、このブラジルではそんなのは関係ないものね。移住して良かったなと思うのは、ここではクロンボって差別されないですむことかしら」
「日本は差別に満ちあふれている国だからなあ」小宮は大きく溜め息をつきながら頷いた。
「ブラジルに来たら、周りは私と同じような肌の色をした人間であふれている。そうしたらおまえはブラジル人のくせに、何でポルトガル語が話せないんだって言われてしまった。私、身も心もブラジル人になりきろうと思ってモブラールに通い始めたんです」
「叫子さんの気持ち、わかりそうな気がします」
「そう、でも小宮さんはクロンボなんて言われたことはないでしょう」
「もちろんありません。でも差別の愚かさは知っています」
一瞬、語気が強くなったが、小宮は何事もなかったかのように続けた。それくらいで、被差別部落の出身ではないかと叫子が疑うはずもなかった。しかし、あの一件以来、自分の出身地を知られることには、怯えにも似た感情が湧いてくる。
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