ニッケイ新聞 2013年5月3日
【2】アガリクス茸栽培 Agarius blazei murrill
アガリクスは1990年代から2006年初頭迄の約15年間に渡って、癌を始め生活習慣病関連の疾病に対する、稀代の薬効を有するサプリメントとして、日本では年商600億円とも評価された、ブラジル生まれで日本育ちのキノコが、名実共に前代未聞の世界のキノコ業界を席巻した医薬及び経済効果は大きい。
アガリクス栽培の史実は古本によりブラジル産アガリクスを、日本に紹介した1963年頃から約15年間を胎動期、日本の岩出菌類研究所や三重大学により、アガリクスの薬効の研究と商業的人工栽培が開発された1978年頃から89年頃迄の10年間を揺籃期、その後世界の健食界に君臨した1990年代初頭以降、日本政府の突如として無謀な弾圧に屈した2006年頃迄の約15年間を隆盛期、そして今日に至る衰退期と4期に区分するのが妥当と思われる。
尚これから記述する事項は、胎動期の古本や我々と共にアガリクスの人工栽培に挑んだ台湾人の呉換竜、そして後継者のWU WAN YINGと台湾人同胞、花岡実生、瓜生ジョルジ、モジのキノコ生産者組合、及び非凡な商才に長けアガリクス業界に君臨し大成した、鹿児島県出身の園田昭憲等の見解も参考にした。
《胎動期*アガリクス茸の生い立ち》
アガリクス発掘の動機は、当時のキノコ栽培の主体はマッシュルームであったが、菌舎の空調設備もなく、外気温が23℃位に達すると、キノコ蝿や雑菌の繁殖が活発になり、子実体には奇形、黄変、班点、腐蝕等が発生し、質、量共に著しく阻害され栽培は休業した。そこで古本を始めマッシュルーム栽培者は、夏場の高温に耐える野生のキノコを発掘すべく、使用人を手分けして山野を探索させた。
1963年夏、古本は強烈な匂いを伴い色、形が松茸にやや似ている名も無い野生のキノコを、パラナピアカーバ山脈沿いの寒村、ピエダーデで見付けた。現地の住人の多くは既に此のキノコは万能薬として珍重されていた事が後日解った。 早速古本はこのキノコから組織培養に拠る種菌を作り、マッシュルームの栽培要領で栽培を試みたが、堆肥や気候が適応しなかったのか、翌年も其の翌年も発茸には至らなかった。
私は古本に請われてモジ周辺の原野で、この名も無いキノコを求め、カマラーダを引き連れ根気良く探し歩いた。その結果住民からの情報により、運良くセザール・デ・ソウザ地域の、アソ・アニャンゲーラ製鉄工場とカフエーソルベル工場の間に広がる原野で、古本がピエダーデで遭遇したキノコに類似したキノコを数10本も見付けた。そして古本は此れ等のキノコがピエダーデで見付けたキノコと同種である事を認め、サンパウロ州内でも各地に自生している事が判明した。
私はこのキノコとの出合の印象が、今も脳裏に強く焼き付いている。即ち、このキノコは草むらに4?5本ずつ固まってコロニーをなしていた。ねじる様にしてもぎ取り匂いを嗅ぐと鼻を突く強烈な臭いがした。菌傘は直径3?4cmの褐色で、所々薄い褐色の班点が有り、菌柄は白く6cm位はあった。キノコを採取後間もなく菌柄は酵素に拠るものか、ヌルヌルとした粘液で包まれた。
私はキャビアやフオアグアと共に世界の三大珍味の一つである超高級キノコのトリュフに就いては文献でしか知らない。トリュフは雄豚の性フエロモンに類似した匂いを発散するので、キノコ狩りには雌豚を先導させ、その鋭い嗅覚でトリユフの存在を嗅ぎ出すとの事である。アガリクスが発散させた匂いも、恐らくトリユフと同じ芳香成分だったかもしれない。
古本は発見したこのキノコを拙宅に持参され、湯がいて共に毒味をし、人命には異常の無い事を確認した。私はその後何回となくこの野生のキノコを採取しては、古本の種菌培養に提供したり、色々な料理で試食したが炊き込みご飯は余りにも匂いが強烈だった。
《アガリクス茸の同定》
1963年、古本は菌類図鑑にも出ていない,この名も無いキノコの名前と植物特性を知るべく、日本の著名な菌類学者であった岩出亥之助三重大教授が主宰する三重県津市の岩出菌類研究所と、アルゼンチンの国立ブエノスアイレス大学宛に、当キノコの同定を求め古本は資料を送付した。
当時のキノコ類研究者や栽培者には岩出教授の著書『食用菌譚類と其の培養』(地球出版社)はバイブル的存在であり、古本も座右の書としていたので岩出教授に拠る同定に期待した。然し岩出研究所からも、ブエノスアイレス大学からも返信は 無かった。翌年も古本は同定資料を岩出研究所に送り続けたが、返信は無かった。
1967年、岩出研究所から古本の資料は、ベルギーの植物学者ハイネマンに転送され,ハラタケ科ハラタケ属のAgaricus blazei murrillと同定されていた事を知ら された。即ち1944年、米国フロリダ州ゲンズビルに住むR.W.BLAZEIが偶然彼の庭先で見付けたキノコは、古本がピエダーデで見付けたキノコと同種で、既にそれを 命名していたのがMURRILLと云う人であった事が判明した。
橋本植物分類学者や水野静岡大学教授等は、学名のAgaricus blazei murrillのmurrillをrrとつずるが,一般にはmurillであるのでrrに統一すべきである。(つづく)