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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(12)

ニッケイ新聞 2013年5月4日

《キノコの商品名と特許》

 アガリクスの生い立ちにまつわるかかる事情を知らなかった古本は,このキノコがピエダーデで最初に見付られたので“ピエダーデ”と呼称し、日本でのアガリクスの研究機関であった三重大学や岩出研究所では“カワリハラタケ”と当初は称していた。
 然し斯様なブラジル生まれの日本育ちのアガリクスは、後日の商品化の時点に至りブラジルではAGARICUSやCOGUMELO DO SOL,また日本では“カワリハラタケ”又は “ヒメマツタケ”などと呼ばれ名称は錯綜した。
 その後古本と岩出研究所との音信は暫く途絶えたが、其の間にカワリハラタケがお姫様の様に可愛いので“姫松茸”と岩出研究所により命名された。
 更には古本が逝去する前年の1986年1月21日付けで、姫松茸はブラジルに自生するアガリクスとは異種の、岩出101号菌株から純粋培養したキノコであると、商標出願公告が日本の特許庁に申請された。(商標広報第32類,商標出願公告、昭61ー4698、1986年1月21日公告)
 斯様にブラジルから名も無いキノコの同定を求めて、岩出研究所に提出したこのキノコの最初の発見者である古本を差し置いて、発見者としての名誉も栽培と流通に関する 主導権は古本から、日本サイドの関係者に掌握されるに至った。
 即ち、植物の特性は栽培される場所の気候や土壌そして栽培法に拠って、多少の差異は生ずるものである。然し出生地が同じブラジル産でありながら、所変われば品変わるで、育った日本では全く異種異質の岩出101菌株のキノコとして、特許登録までした商業道徳的にも某国人に劣らぬ醜態を曝け出した。
 毎年春に東京で開催される健康食品展には,姫松茸とアガリクスとの相違点を実しやかにVTRで講釈するブースが常設されていた。私は自分が侮辱されている心地も募り、当方の経緯を基に抗議したが、納得の行く回答は得られなかった。
 ブラジルに於けるキノコ業界では、歴史的、技術的、生産量、流通面に於いても、日系人が其の発展に最も貢献し実績と伝統を誇って来た。然るに斯様な心なき不謹慎な学究者達により、ブラジルのキノコ業界史に於いては、前代未聞の汚点を残した事は日本人として誠に嘆かわしい事である。
 岩出研究所が商標登録した姫松茸は、古本が世に出したピエダーデ,カワリハラタケやアガリクス茸の一商品名に過ぎず,岩出、三重大学派が主張する“岩出101号菌”からの新品種では絶対にない事を、コロニア諸賢には改めてご理解頂きたい。
 一方これは異種のキノコであるとして姫松茸の名称を特許出願した、岩出派の行為に反発する学者も多々居り、故橋本梧郎植物分類学者を始め、故水野卓静岡大学教授も其の一人であった。その詳細は同教授の著書、“アガリクス全書”青萠堂出版の39?43ページを参照されたい。
 また参考迄に1985年1月21日付けの邦字紙サンパウロ新聞に、故橋本梧郎 植物分類学者が“キノコの精,古本氏のこと”と題した次の寄稿文を付記する。

《橋本先生の寄稿文》
 古本さんと初めてお会いしたのは、今から40年程前に遡るであろう。私はブラジルに植物の分類をやる目的で来たが、当時遭ったのは栗原自然科学研究所の応接間であったと記憶している。会談の初頭から、話はキノコの事に及び、尽きる事無く、共通の話に時の経つのも忘れた。
 この時の印象は情熱の人で何れの日か成功を収める事だろうと思った。モイーニョ・ヴェーリョでマッシュルームの研究栽培をして居られる時も訪れて、新しい着想に 圧倒される事が多かった。
 互いに同じ年頃の年齢で気が合った為か、私が暫くパラナ州を離れて住む様になっても,時に通信に拠って励まし合う事が続いたし、邦字紙に時折書かれるキノコ栽培の記事に拠って其の健在と成功を喜んでいた。この記事の中に書いてある姫松茸は古本さんが1965年にブラジルの原野で発見し72年に人工栽培に成功し、74年から営利栽培に入ったものである。
 その後、このキノコは日本の岩出亥之助農学博士に送られ研究されカワリハラタケの日本名と共に、商品名が姫松茸と命名された。
 その後、このキノコは耐癌有効成分を含有する事が発見された。今回ブラジルに於いて、アリメントスナツライス ド ブラジル社により企画化され、ミラクロンの名の下に販売される事になった。人生の大半をブラジルでキノコにその情熱を傾けた古本さんの今後の成功を祈って已まない。

 橋本植物分類学者がこの一文を寄稿して2年後に古本は突如他界した。古本は体調を損ねた動機を言葉少なに私に語ってくれた。キノコに魅せられキノコと共に逝った生涯は、およそ森の妖精キノコに囲まれた おとぎの国の生活とはほど遠い、不運と苦難に満ちた生涯だった。
 古本は岩出派の姫松茸の商標登録出願の報を受けて、一時は激怒したが、その内に冷静になったのは古本と岩出研究所の間で、某かの和解への示談が成立したかの憶測を呼んだが、アガリクスの最盛期を待たずして急逝した古本亡き今では、例え証言されても信頼に値せず永遠の謎となった。(つづく)