ニッケイ新聞 2013年5月8日
放射能汚染から逃れて南米へ——3・11東日本大震災の後、比較的永住権を取得しやすいパラグアイには日本からの新来移住者がやってきている。中でもイグアス移住地には昨年5月に5人が移住し、今年もう一人が増える予定だという。現地通信員の澤村壱番さんの協力により、3・11後の新来移住者の移住動機、経緯などを聞いてみた。
「直接に被災した訳ではないが、震災がなければ移住はなかった」。昨年5月にイグアス移住地へ移った5人は、そのように動機を語った。
その一人、倉田美穂さん(46、東京)は3・11まで東京都で普通に整骨院を営んでいた。「震災までは、まさか自分が移住するなんて考えたことなかった」と振り返る。12歳の子連れのAさん夫婦(40代前半)も同様だ。来月には同夫婦の母も移住する予定。 倉田さんは「チェルノブイリ原発事故と比べても、福島の方が汚染数値が高いことが分かった。自宅があった東京都でさえ、チェルノブイリの非常区域より数値が高い地区があり、ここにいれば健康に異常をきたすのではと恐ろしくなり、東京からの脱出を考えるようになった」という。
もちろん最初は国内転居を想定したが、日本は地震大国で原発が散らばっていると気付いた。「食品にも影響が出てきている日本よりも、いっそのこと海外の方がいいのではないか。将来を考えたら今のうちに日本を離れた方がいい」と思うようになったという。
その頃、倉田さんは飲み水をわざわざ九州から取り寄せ、四六時中マスクをつける生活に「限界を感じていた」という。同様に整骨院で同僚だったAさんも「子供の健康を考えたらとても日本は無理」と判断していた。
残る一人は入内島(いなじま)理絵さん(38、東京)だ。大気汚染された東京が嫌で千葉に引っ越し、自給自足の生活を送る準備をしていた入内島さんだったが、もろにその場所が震災で放射能汚染におかされてしまい困っていた。互いの心配に共感し一緒に海外移住を真剣に考えるようになった。
移住先をネットで探す毎日を送る中、偶然テレビでパラグアイを紹介する番組を見た。「こんな素晴らしい場所があるのかと感激し日系移民について調べた」という。その結果、パラグアイが比較的永住権がとりやすく、日本語が普通に通じ、日本食が食べられることなどからイグアス移住地に決めた。同日本人会に相談したところ、「一度下見に来てください」との返事をもらい、11年12月に実際に訪問した。倉田さんは「想像以上に素晴らしい環境だった」と感動し、翌12年5月には移住した。
住居や仕事の問題があり、最初の半年間は首都アスンシオンに住んで永住権申請などをして生活を送っていたが「言葉の壁にストレスを感じる毎日だった」と思い出す。
全ての準備が整い、永住権身分証明書取得のめどが立ち、12年末に移住地に移った。「日本語が通じて外国とは思えない」との評判どおりで、現在は整体医療院を開業し移住地の人が連日、患者として通っている。
倉田さんは「こんな素晴らしい移住地を作ってくれて本当に感謝している。死ぬまでここで生活していきたい。地域に溶け込み、仕事も生活もがんばっていきたい。これからも移住地の一員としてよろしくお願いします」と語った。海外移住を迷っている日本の人に対しても、「勇気を出して一歩踏み出すことが大事。ぜひ1度この場所に自分の足で立ってほしい。ただし覚悟がなければ絶対に無理だと思う」とアドバイスした。