ニッケイ新聞 2013年5月14日
軍政時代(1964—1985年)に強い影響力を誇った退役陸軍大佐のカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラ氏が10日、真相究明委員会の審問に答え、ジウマ大統領を「テロリスト」と言い放ち、「自分はあくまで軍の司令に従っただけ」との主張を行った。11日付エスタード紙が報じている。
16日で発足1年となる真相究明委員会が10日、軍政時代に最も怖れられたサンパウロ州陸軍秘密警察(DOI—Codi)の司令官で、数々の拷問を指揮したとされるウストラ氏の審問を行った。人身保護の立場から黙秘権が認められていたにもかかわらず、同氏は次々と過激な言動を行い、同委員会を驚かせた。
報道陣が数多く集まる中、ウストラ氏は自分は「軍の司令を遵守しテロリスト撲滅のために戦った」と語り、ジウマ大統領は「テロ組織に加担していた」と供述した。
ウストラ氏は「当時のテロリストたちが労働者による共産主義独裁国家を築き上げようとしていたことは、どの組織の規約にも明示されていた」と語り、それはジウマ大統領の所属していた組織でも同じだと語った。ジウマ大統領は学生時代、ポロップ、コリーナとVARパルマレスといった反政府組織に所属しており、1970年1月に反逆罪でサンパウロ州で逮捕され、釈放される72年まで幾多の拷問を受けている。
ウストラ氏は「我々は民主主義を守り、ブラジルがキューバみたいな国にならないように戦っているのだ」と語っている。
また、拷問死した政治犯については、一貫して「通りでの戦いや車にはねられて亡くなったのであって、拷問死などさせていない」と主張した。拷問死がすでに判明しているフレデリコ・エドゥアルド・マイール氏の死因を「トラックに轢かれた」と発言した際には、会場から失笑も起きた。
だが、委員会が拷問死の死体をモニターで見せはじめると、ウストラ氏は不快な表情を見せはじめ、同氏は「左翼に殺された警察官の死体が見たい」と発言した。
さらに口論も勃発した。クラウジオ・フォンテレス委員が、DOI—Codiで73年10月に45人、12月に47人の死者が出たことを伝える報告書を読み始めると、ウストラ氏は「それは私が自分の本に書いた秘密文書ではないか」と反応。フォンテレス氏がその本はウストラ氏の行為を「覆う盾」と言い返すと、ウストラ氏は「その文書は改ざんされている」「路上での死者はいたが、DOI—Codiの中では誰ひとり死んでいない」と言い張った。
だが、同じく召喚されたウストラ氏の元部下のマリヴァル・シャヴェス元軍曹は、「DOI—Codiの中では、著名な政治犯の死体は司令官のへのトロフィーを意味した」と証言。拷問死した人が車にはねられて死んだりしたように見せる偽の調書作りが行われていたことも明らかにした。同氏は「ウストラ氏は生と死を司る存在だった」とも証言している。