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笹崎工業70周年祝う=マリリアで祝賀会開催=市長も出席、献身称える=「協力なくして文協なし」

ニッケイ新聞 2013年5月15日

 北海道出身の笹崎一家が創設したサンパウロ州マリリア市の「笹崎工業」(笹崎コウゾウ・レオナルド社長)が先月27日、同市のクオリティ・サンヴァレイ・ホテルで創業70周年を祝う祝賀会を開いた。株主や企業家、卸売り業者等、同社への協力者らが招かれた。現在ではブラジル市場の20%を占める有数の窓・戸枠メーカーとして知られる。同市北部に延べ面積7万8千平方米の工場を持つ、従業員数1350人の大企業。88年から独自資本で運営しており、優れた成長戦略と顧客優先の精神で成長を続けている。

 笹崎一家は1933年、北海道石狩郡からあふりか丸で渡伯した。グアインベー市で10年間農業に従事した後、孝作・友三郎兄弟がマリリア市に出てブリキ屋を始めたのが同社の始まり。トシミチ、ハチロウ、ユタカ3兄弟も加わって設立され、現在は長男友三郎氏の息子コウゾウ氏が社長を務める。ハチロウ、ユタカの2氏も健在だ。
 43年に笹崎農機具製作所を設立し、落花生脱皮機、播種機や脱穀機など農機具を生産、販路を全伯に広げた。58年から窓枠(サッシ)の生産を始めた。
 コウゾウ社長は祝賀会で社史を振り返ると共に、ブラジルの窓・戸枠業界において、外資系企業と合併せずに70年も存続する企業はごくわずかであることを強調した。ユタカ氏は業界トップであり続ける苦労を振り返り、家族や友人、協力者らに謝辞を述べた。
 ヴィニシウス・カマリーニャ市長も出席し、笹崎一家の献身ぶりを称え、市民に就業機会を与えマリリアの名を全国に知らしめた同社の重要性を認めた。
 会場は約1500羽の折鶴で飾られ、同社が後援するリベイロン・ピーレス管弦楽団の演奏と最高級の日本食で参加者がもてなされた。
 同社は地元日系社会へ大きな貢献をしてきたことでも知られる。マリリア文協の新宅義美名誉会長(75、広島)は、「友三郎、孝作さんが社長時代は、毎年暮れになると文協に寄付をしてくれた。今は無心しなくてもやっていけるが、困った時はいつでも協力してくれる」と語る。
 5男のトシミチさんは90年、新宅さんに呼びかけ日伯文化協会と青年会、スポーツクラブの3団体の統合に奔走、マリリア日系文化体育協会を結成し、自身も6年間会長を務めた。
 協会の敷地とすべく、11アルケールの土地購入を目指し、笹崎工業などから寄付を集めたが半額足らず、売主から「24時間以内に耳を揃えなければ他に売る」と言われ困っていた時、ポケットから小切手を出してくれたのが4男のハチロウさんだった。「この人の協力なくして今の文協はない。野球場が6面もある立派な会館が建った」と謝辞を述べた。