ニッケイ新聞 2013年5月23日
開設から丸1年となった真相究明委員会が、21日にこれまでの調査結果を発表し、1993年に海軍が行った行方不明者の報告に虚偽があったことなどを公表した。同委員会は、1979年の恩赦法の見直しと拷問を行った軍関係者の処罰を求める可能性も示唆した。22日付伯字紙が報じている。
真相究明委員会新コーディネーターのローザ・カルドーゾ氏は、21日に行われた発表で、海軍が1993年に当時のイタマル・フランコ政権に提出した書類に虚偽があったと指摘した。この書類は政治犯の行方についての報告書だが、海軍は死亡したと目されていた政治犯11人を「逃亡中」と報告していた。
その11人の中には、2月6日付本紙でも「軍が殺害した」と報じたルーベンス・パイヴァ元下院議員の名前もある。同下議が1971年1月に拷問死したことは、当時陸軍秘密警察(DOI—Codi)に出入りしていた医師が目撃しており、1972年作成の海軍の文書にも「死亡」と記されている。また、パイヴァ氏の他にも北東伯アラグアイアのゲリラ兵も含まれている。
この報告会では、軍政時の指揮系統を表す組織図も発表され、秘密警察(CODI)を構成していた陸海空軍の司令官の下にはそれぞれが指揮する諜報部があったことを証明した。1970年の陸軍総司令官は、後に大統領(1974〜79年)に就任するオルランド・ガイゼル氏だ。
この図の説明を担当したミナス・ジェライス連邦大学のエロイーザ・スタルリング教授によると、1968年12月に公布され、軍や議会から反対者を追放した「軍事政権下で最も残酷な法律」と呼ばれる軍政令第5条(AI—5)以前に、すでに軍は政治犯の拷問をはじめていたという。拷問は1964年の軍政成立時からはじまっており、64〜68年に拷問を実行していた場所は、全国で36(サンパウロ州には4)あったという。
真相究明委員会のメンバーたちはこれらの研究結果をもとに、政治犯のみならず拷問を与えた軍人にまで恩赦を与えた1979年の「恩赦法」を見直すべきだとの見解を表明した。カルドーゾ氏は、「委員会全体の同意が得られれば、軍当局に内部処罰のための裁判の実施を求めざるをえない」とし、パウロ・セルジオ・ピニェイロ委員も「私の見解は、(ブラジルの軍政時代の人権侵害は罰せられるべきと判断した2010年の米州機構人権裁判所での)判決と同じだ」と語った。
だが、セウソ・アモリン防衛相は、真相究明委員会の意思は尊重するとしながらも「政府の意思としては軍を罰するつもりはない」とフォーリャ紙に語り、恩赦法の改定へ動く意志がないことを明らかにした。
恩赦法に関しては、連邦最高裁も2009年に、同法の対象は迫害された側と迫害者の双方とする従来の解釈を踏襲する判決を下している。