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べレン総領事館問題=「西森、飯星両議員の力」=生田勇治氏が訪日の報告

ニッケイ新聞 2013年6月1日

 【既報関連】在べレン日本国総領事館の縮小問題で、政府関係者への陳情のため24日から日本を訪れていた汎アマゾニア日伯協会の生田勇治会長(65、山形)が30日夜に帰国し、同日サンパウロ市内で記者会見を開いた。
 麻生太郎副総理との面談は28日午前11時10分から20分にわたって行われた。生田、山田フェルナンド両氏は、3万5千人の日系社会の存在や資源の豊富さ、経済交流のポテンシャルの高さを説明し、パラー州の移住者が現地に貢献していることに加え、日本との窓口として総領事館の重要性を訴えた。
 麻生氏は「話は聞いた。わかりました」とだけ言ったという。会談後、一行と昼食をともにした外務省の山田彰中南米局長から謝罪の言葉があり、「領事館にするという方向で何とかする」と話したという。つまり、領事館への変更は山田局長によって説明されたようだ。
 今後日本での手続きのため、なぜ事務所ではなく領事館として機能させる必要があるのか理由を記載した書類が当地の外務省から発行される必要があり、その書類準備に関しては、同行した西森ルイス、飯星ワルテル両議員が協力することになっている。
 「ブラジル社会では、コンスラード(領事館)とエスクリトーリォ(事務所)では全然見方が違う」と言う生田氏は「2人の議員の力」と安堵する一方、「本来なら領事館はなくても、日系社会が日本との窓口になれるくらい、きちんとやっていかなくてはならない」との見解も示した。
 べレン総領事館は、アマゾン地域への移住が始まった5年後の1934年、最初は「べレン領事館」として設置された。45年〜52年は一時閉鎖され、1955年に総領事館に格上げされている。