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ピラール文協〃還暦〃祝う=創立60周年式典に5百人=南会長「会員が一心同体に」

ニッケイ新聞 2013年6月12日

 ピラール・ド・スール日伯文化体育協会(南満会長)の『創立60周年記念式典』が9日、同文協会館で行われた。会員ら約500人のほか、同市長や多くの日系団体関係者、羽藤ジョージ、安部順二の両氏など日系政治家も会場を訪れ、節目の年を盛大に祝った。式典では司会進行を4人の青年会員が務めるなど、若者の活躍が目立った。南会長は「彼らの素晴らしい活躍もあり、老若男女会員一同が一心同体となって取り組めた」と満足げに語った。

 開拓先没者慰霊祭が営まれた後、伊藤正男実行副委員長により、日ポ両語で開会宣言が行われた。来賓には、ジャネッテ・ペドリーナ同市長をはじめ、在聖総領事館から成田強領事部長、板垣勝秀・ブラジル日本語センター理事長、園田昭憲・県連会長、山村敏明・聖南西文化体育連盟会長などが招かれ、約10人が祝辞を述べた。
 続いて、会場前方に設置されたスクリーンで文協の歩みが写真とともに紹介され、往時を懐かしがる声も聞こえた。
 文協創立会員夫人、歴代会長、80人以上にのぼる75歳以上の敬老者らには、記念品と賞状が贈られた。
 「文協が出来たとき、夫は本当に喜んでいた」と振り返るのは、創立会員の1人、河津寅男さんの妻なつこさん(82、二世)。16歳での入植時、4、5の日系家族しかいなかったという。
 「とにかく何にもないというのが第一印象。当然畑に水をまく機材なんてなくて、カミニョンに水を積んで運んでまわったもの」と感慨深げに語った。
 白寿表彰を受けた豊田すぎさん(99、栃木)は、1964年にパラー州トメアスーから移り住んだ。「道路もガスも、水道も整っていなかったけれど、トメアスーに比べれば気候が本当に良くて。それでも、こんなに生活が便利になるなんて考えもしなかった」と笑顔で話した。
 式典後には青年部と日本語学校生徒による唱歌「花は咲く」の合唱、カラオケ、サンパウロの鳥取県人会・笠踊りグループによる演技の披露などが余興として行われ、多いに盛り上がった。
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 同地への入植は1945年に始まった。文協の創立は8年後の1953年で、48人のメンバーによって創立された。
 55年に現在まで続く日本語学校が作られ、74年に婦人部創設、76年に新会館の建設、85年には入植40周年記念式典、記念誌が作成されるなど、積極的な活動が続けられ、現在約160家族が会員として活動している。