ニッケイ新聞 2013年6月15日
ブラジル日本移民105周年
〃移民大国〃と言われたブラジルも、80年代からは大幅に出移民が増えたが、2000年前後からは南米の近隣諸国を中心に、アフリカの内戦国からの難民などが流れ込むようになり、本来の移民大国に戻りつつある。それと同時に、移民の都「サンパウロ市」の公立校には外国籍の生徒がどんどん流れ込むようになり、中でも市立校には55カ国からの外国籍生徒がいる。ブラジルの縮図としてのサンパウロ市は〃人種の坩堝〃の度合いを高めながら成長の一途を辿っている。
5月5日付エスタード紙によると、かつては生粋のパウリスタっ子より外国移民や国内移民の方が多かったサンパウロ市も、現在ではサンパウロ州以外で生まれた人は28%のみで、他州や他国生まれの人の割合は、一時に比べ極端に小さくなったといえる。
他州や他国生まれの人の割合が小さくなったのは、サンパウロ市やサンパウロ州に住み着いた移民の子供や孫が増えてきた証拠である。しかし、小さくなったとはいえ、今も国内移住者や外国移民が相当いる事も間違いない。
多いボリビア、亜国、日本国籍の生徒
前述のエスタード紙には他州から来た国内移民の数は書かれていないが、5月26日付エスタード紙によれば、2012年のサンパウロ市では、市立校(9年生まで)に在籍中の外国籍生徒は55カ国、1863人で、2010年の340人と比べ447・9%も増えている。
国籍別の生徒数は、ボリビア1357人(2010年は236人)、日本197人(49人)、アルゼンチン60人(7人)、パラグアイ45人(8人)、ペルー44人(3人)、ポルトガル22人(8人)、マルティニーク(カリブ海にあるフランスの国外県)16人(0人)、スペイン15人(3人)、アンゴラ12人(2人)、米国11人(2人)となっている。
大半が2010年比で数百%増えたが、2011年比では、日本が232人から197人、マルティニークが36人から16人、ポルトガルも31人から22人に減ったのも目に付く。
市立校の外国籍生徒は南米やラ米出身者が圧倒的に多く、サンパウロ市北部ロンバルディ・ブラーガ校では生徒の40%がボリビア人。ロシア出身の双子の姉妹が通うサンパウロ市東部ベレンジーニョのギリェルメ・ルーヂェ校では、全生徒200人中11%が外国籍の生徒だという。
2人に1人が外国人という地区も
一方、2010年の国勢調査を基にサンパウロ市在住で正式登録済みの16歳以上の外国人を出身国別に見ると、一番多いのはポルトガルの3万4064人。以下、ボリビア1万8846人、日本1万1694人、イタリア9795人、中国8945人、スペイン7581人、韓国6564人、アルゼンチン4300人、リビア3954人、チリ3657人、その他3万865人となっている。 サンパウロ市在住のボリビア人が日本人やイタリア人を上回ったのは2010年の国勢調査が初めてだが、ボリビア国領事館では正式な書類を持たない(滞在ビザなし、外国人登録をしてない)人も含めたサンパウロ市在住のボリビア人は30万〜35万人と見ている。ボリビア人の流入は、同国が南米南部共同市場(メルコスール)の準加盟国となった1997年以降、加速化しており、ブラス区の服飾関連会社などに就職、家賃の安いパリ区などの集合住宅や極東部、北部のファヴェーラなどに住む例も多い。
移民が多い地区の人口は、南部のグラジャウーが24万9860人、ジャルジン・アンジェラ20万2196人、カッポン・レドンド19万2305人、ペドレイラ10万2057人など。
外国人の人口比率が高いのはアニャングエラ48・72%(ほぼ2人に1人の割合)、パリ45・72%、ジャルジン・アンジェラ43・63%、レプブリカ43・30%、グラジャウー41・38%など。
外国人の人口比率が最も低いのはカロン区の13・73%(6万8005人)で、以下、アグア・ラザ13・91%(6万9572人)、タツアペ15・16%、ヴィラ・フォルモーザ15・94%、サンタナ16・03%、ヴィラ・マチルデ16・19%などが続く。
移民が多い地区はなぜか家庭収入が高い
興味深いのは、他州や他国からの人が20%程度までの地区では家庭収入の平均が月5千レアルであるのに対し、他州や他国からの人の割合が35%超を記録する地区の家庭の平均は2500レアルと低い事。
家庭収入は過去50年間の人口増加のあり方などを反映しており、他州や他国の人が少ない地区はより古い時期の移民の子孫が多く、移民の血が混じってない人は少数派だ。日本人の場合、その子孫はビラ・マリアナといった地下鉄沿線などに多い。19世紀末から20世紀初頭に移民が始まったポルトガル系はサウデ、イタリア系はジャルジン・パウリスタなどに多いとされるが、ポルトガルやイタリアといった国は欧州経済危機で失業率が高く、新天新地を求める新しい移民の波も起きている。
5月5日付エスタード紙は、欧州では2008年の国際的な金融危機勃発以来、100万人以上が国外に脱出しており、過去50年で最大の出国ブームの最中と報じている。前述した2010年の国勢調査で、サンパウロ市最大の外国人コミュニティはポルトガル人によるものと報告されたのは、このような流れが具体的な数字となって現れたものといえるだろう。
ハイチ難民もW杯サッカー場建設に参加
一方、移民や移住者の多いセントロの旧市街と周辺部は、交通の便が悪く、保健衛生面や教育面が十分整備されていないなどといった問題も抱えている。政府の持ち家政策のミーニャ・カーザ、ミーニャ・ヴィダなどに応募し、生活の基盤を築こうとしているラ米諸国からの移民増加は4月24日付エスタード紙が報じている。
5月26日付エスタード紙掲載のハイチ人が2014年サッカーW杯の会場であるイタケロン・スタジアムの工事に参加中という記事は、金融危機、経済危機以外の理由による移民の例だ。2010年1月の大地震で生活基盤を失ったりした人が一縷の望みをかけてブラジルに来る動きはいまだに止まらず、イタケロン建設では、平均月収1200レアルで働く労働者1100人中50人がハイチ人で、その中には教師や学生、3〜4カ国語を話すスポーツ選手らも混じっている。
だが、ハイチから来た人が皆、就職出来ている訳ではないし、全員がブラジル内に合法的に滞在している訳でもない。
ハイチからの人々がブラジルにたどり着く場所のひとつはアクレ州で、4月14日付エスタード紙には、ブラジレイア市とエピタシオランディア市には、ハイチからの難民が1300人以上いると書かれている。アクレ州政府は、2010年以降、ハイチ難民の住居費と食費に300万レアル以上を費やしており、連邦政府の支援を求めているのが実情だ。
連邦政府はハイチ人の受け入れを制限し、ビザ発給はハイチ国内でのみとする方針を打ち出した上、周辺諸国にもブラジルに入ろうとするハイチ人を阻止するよう協力を要請した。
国際機関では、この方針は人道的な見地から見て不適切と批判している。パナマやペルー、エクアドル、ボリビアを経て入国するハイチ人は後を絶たず、6月3日付エスタード紙には、ブラジルや周辺国からハイチに送還されたり逮捕されたりするハイチ人増加中との記事も出た。
アクレ州に着いたハイチ人達は、1日も早く仕事に就き、住居難や食糧難といった劣悪な環境からの脱却を望んでいる。ハイチ人雇用のために同州に人事関係者を派遣してきた企業の一つは、パラナ州の食肉加工業者フランゴス・カンソンだ。ペルーから船でアマゾナス州タバチンガまで来た後、同社への就職の道が開かれたウィスリ・セプテンブロさんは、仕事と共にポルトガル語を覚え、人事担当者がブラジレイア市でリクルートしてきたハイチ人のための訓練などでは、通訳役や相談役も務めている。
急増するバングラデシュやシリア難民
難民とみなされている外国人はハイチ人だけではなく、5月16日付エスタード紙は、パラナ州の食肉加工会社への就職を約束されて来たのに道が閉ざされ、ブラジリアに近いサマンバイアの小さな民家に住みついたバングラデシュ人達について報道した。
連邦警察は、月収1500ドルの言葉に誘われて母国を離れたバングラデシュ人80人を発見しており、出国費用に1万ドル払った人もいた。ミーニャ・カーザ、ミーニャ・ヴィダ用住居などの建設工事現場では、外国人労働者が確実に増えているという。
連邦警察では、仕事を世話するとの言葉を信じて来伯したが、仕事口などなかったという人身売買の被害者や奴隷労働を強いられた例を難民扱いし、人道主義に基づくビザ発行手続きをとる。難民の主なルートは、ペルーを経てアクレ州、ボリビア経由でマット・グロッソ州、ガイアナ経由でロライマ州の三つだ。
2010年のバングラデシュ人による難民申請は39人だったが、2011年には111人に急増。2012年には、ギネビアスやソマリア出身者の難民申請が増え、バングラデシュ人は難民申請上位4カ国のリストから外れたが、この事はブラジルへの難民の出身国が多様化している事も意味しており、世界情勢とブラジルへの移民、難民の流入が密接にかかわっている事を示している。
アラブの春以降、内戦が続いているシリアの状況も深刻で、4月26日付G1サイトによれば、同国からは2月だけで15万人、3月から4月にかけての7週間で40万人、内戦開始からでは135万人が国外脱出している。難民の行き先は周辺国が中心だが、ブラジルも2012年に37人など、シリア難民を受け入れている。同国からの難民数は年末には350万人に達する見込みで、政変などがあった南スーダンやマリ、コンゴも難民が増えている。
ブラジルでの難民申請は2012年に2010年比3・5倍の2008人となり、2013年は2580人になると推定されている。難民申請が多い国はアンゴラ、コロンビア、コンゴの順で、南東伯66%、中西伯16%、北伯11%、南伯6%、北東伯1%となっている。
サンパウロ市での移民の歴史は1世紀を超え、大量流入でサンパウロ州生まれの人よりも他州や他国で生まれた人の方が多くなった時もあったという。