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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第104回

ニッケイ新聞 2013年6月27日

「わしらは祖国が在日を温かく迎えてくれると信じて疑うことはなかった。しかし、家族と再会してはっきりしたことがある。在日は共和国では差別されているし、共和国は国家再建のための人手が足りなかったからわしらに目を付けたに過ぎない。生活も日本にいた頃より貧しい暮らしをしている。長年、家族の再会を認めなかったのはそれがわかってしまうから会わせてくれなかっただけだ」
 白は万景峰号で元山に入港してから新潟港に戻るまでの二週間のできごとを詳細に語ってくれた。朴仁貞も幸代も言葉を挟むこともせずにじっと耳を傾けるだけだった。白の口から語られる現実にただ驚くばかりだった。
 白自身も帰国してから間もなく、今後どうするのか心を痛めている様子がありありとうかがえる。
「帰国してから他の同胞とも話したんだが、家族が生きていただけでもありがたいと思わないと……。わしらは家族をとんでもないところに送りこんでしまった。共和国に人質を取られているようなもんだ」
 最後は怒りとも諦めともとれるような言葉を漏らした。
「それで二週間滞在して、白さんが家族と会えたのは一晩だけなんですか」
 朴仁貞が信じられないといった顔で聞いた。
「つもる内輪の話もあるのに指導員が付きっきりで離れようとはしない。余計なことを話さないように監視するのが彼らの役目だから仕方ないのかもしれないが、飲み食いさせ、酒とタバコを渡し、それでも帰ろうとしない。結局、賄賂を掴ませて帰ってもらったが、それだって夜中の二時近くだった」
 白の話だと、在日の多くは地方に追いやられ、平壌で暮らしている在日は、党幹部にコネがある者に限られているらしい。
「それで兄が収容所で死んだというのを父から聞かれたそうですが……」
 幸代は最も聞きたいことを尋ねた。
「金寿吉さんとは沙里院で会った。直接話せたのは数分だけで、すぐに引き離そうと指導員がやってくるんだ。容福が収容所で死んだのは事実だと思う。その時はわし自身が家族と会う前だったから、金寿吉さんが何を言いたかったのかよく理解できなかった。ようやく自分の子供に再会し、なんとか指導員を追っ払った後、共和国に来てから何があったのか、すべてを聞かされた。容福は平壌でなくてもいいから大学の医学部で勉強させてくれれば医師として共和国のために尽くすと訴えたのが災いして強制収容所に送られ、そこで死亡したと言っていた」
 母親はそこまで詳細に聞いてはいなかったのだろう。落ち込みがひどく話ができるような状態ではなかった。
「父や姉の文子は元気にしているのでしょうか」
「わからん。この間もお母さんの方には伝えたが、沙里院旅館の前で見た金寿吉さんは痩せ細り、まるで枯れ枝だった。家族に会いたいと伝えてくれと泣きながら言っていたよ。一日も早く会いに行ってやってくれ」
 白徳根にとっても他人事ではないのだろう。
 その日の帰り道は、母親は無言で横浜から自宅に戻るまでほとんど口をきかなかった。もっともそのおかげで幸代は今後どうすべきなのか思考を乱されずにすんだ。帰宅した時には、来春からどうすべきは結論を出していた。
 将来のことを考えれば、大学の講師を続けた方がいいのは明らかだ。しかし、大学の講師として得られる給料では母親を共和国に里帰りさせるのもおぼつかないし、ましてや経済的支援をするのは到底不可能だ。
 幸いなことに予備校での幸代の評価は高かった。幸代のクラスで日本史を学ぶ受験生の偏差値は上昇し、わかりやすく授業も飽きさせないと生徒の評判も良かった。その予備校は全国に分校を展開し、東京校以外の地方の教壇でも教えてほしいと打診されていた。それを引き受ければ大学の講師をしている余裕はない。その代わり収入は飛躍的に増える。(つづく)


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