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コンフェデ杯を振り返る(1)=FIFAと政府が対立

ニッケイ新聞 2013年7月3日

 ブラジル優勝で6月30日に幕を閉じたサッカーのコンフェデレーションズ杯。来年のワールドカップの予行演習的な意味でも世界的に注目されたコンフェデ杯は、ブラジル代表(セレソン)に多くの収穫が見られたものの、開催国としてはまだ問題が山積みであることを露見した大会でもあった。
 今回からシリーズで、このコンフェデ杯を振り返り、14年W杯を迎えるために、ブラジルやセレソンに何が必要かを検証してみたい。

(1)FIFAと政府の対立

 今回のコンフェデ杯は6月15日からはじまったが、それに先立ち、中流層を中心に様々な欲求不満が爆発し、全国規模でデモが広がった。延べ数百万の規模に及ぶ一連のデモで、コンフェデ杯やW杯は「国の浪費の元凶」と見なされ、「中止」を求める動きさえ活発化した。
 ブラジル政府としてはサッカーどころではない政治不安の状態を迎えていたが、同時に政府はもうひとつの「戦い」、正確には「冷戦」を展開していた。その冷戦の相手は国際サッカー連盟(FIFA)だった。
 今大会中、FIFAのブラッター会長は表向き平静さを保ち、「ブラジルが安全の問題を解決することを信じている」と語り、ブラジルでの14年W杯開催を改めて約束した。
 だが、7月1日付エスタード紙によると、FIFA側は今回のデモに不快感を示し、「治安問題が解決されなければ帰国する」とまで発言していたという。
 FIFAにしてみれば、招待した数百人のゲストから渡伯をキャンセルされたことへの不満もあったが、同団体が最も嫌ったのは、W杯やコンフェデ杯が社会的、もしくは政治的なものと結び付けられたことだったと言われている。FIFAとしては、純粋にサッカーを愛し、そこから感じられる喜びを伝えるために大会を行っているのだという主張がある。
 だが、そんなFIFAの態度がブラジル政府の神経を逆撫でした。政府としては、国内がパニック状態に陥っているのにFIFAが「我関せず」の態度を取っていることにショックだった。そもそも国が現在揺れている原因のひとつを作っているのがFIFAであるとを思えば、なおさらだった。国民に「ムダ」と判断されたスタジアム建設やインフラ整備などを求めているのは他ならぬFIFAでもあるわけだから。
 こうした状況下、ジウマ大統領はブラジル優勝の瞬間にスタジアムに現れずFIFAとも決勝戦で顔を合わすことなく別れた。一方、FIFA側は7月に入りW杯のチケットの価格を発表したが、かねてから高価格のチケットを望み、ブラジルと数年間折衝してきたFIFAの思惑とは裏腹に、デモの影響もあり、高値がつけられなくなった。この件でも遺恨は否定できないものとなった。
 W杯の行われる14年はブラジル大統領選挙の年でもあるため、政治的な空気は避けられず、再度のデモ勃発も十分起こりえる話だ。そうした予想しうる非常事態を解決するためにも、FIFAと政府の協力体制は必要だといえそうだ。