ニッケイ新聞 2013年7月5日
今回のブラジル代表(セレソン)のコンフェデ杯優勝の立役者として、選手もさることながら、チームをひとつにまとめあげたフェリポン監督の存在があげられる。
今回のフェリポン監督の手腕に対し、多くの国民が「また、やってくれた!」との快哉をあげている。〃フェリポン〃と言えば、ロナウドやロナウジーニョら、多くのスター選手を擁して優勝した2002年W杯優勝監督としての印象が強い。だが、今でこそブラジルサッカー史の伝説の一つといえるその当時のセレソンを、前代未聞の南米予選落ちの危機から救い出した張本人こそフェリポン監督だったことを忘れてはならない。
今回のセレソン監督再登板も状況としては似ていた。マノ前監督のもと、弱冠21歳のネイマールを中心とした若手へ代替わりしたことでなかなか結果が出ず、国民の不満が貯まっていた昨年11月、フェリポン氏は10年ぶりに監督を引き受けた。
フェリポン氏はパルメイラスを低迷させて監督を解任された後で、就任を疑問視する声もあり、就任後のセレソンも引き分け続きで結果が出ていなかったため、コンフェデ杯でも、開催国でありながら優勝候補にあげる人は多くなかった。
だが、コンフェデ杯が近づくと、召集をかけていたロナウジーニョやカカーといった過去のエースを躊躇せず落とした。ロナウジーニョに関しては「遅刻を言い分けした」という理由で、ボランチのレギュラーだったラミレスも、「怪我で欠場した選手としての態度がなってない」との理由で外した。
そうした厳しさを見せながら、ネイマールをはじめとした20歳前後のメンバーには自信を植え付けた一方、「過去の選手」と思われ、英国リーグ下位チームでの選手生活に甘んじていた33歳の守護神ジュリオ・セーザルは、監督への恩義からコンフェデ杯で攻守を連発、劇的に復活した。
フェリポン監督はブラジル国旗に記されてある「秩序と前進」という言葉の重要性をセレソンに説き、それを元にチームに家族的雰囲気をもたらしていたという。こうして、年齢差を超えたチーム内の結束が生まれた。
今回の優勝でW杯のメンバーも大方固まったように見えるセレソンだが、それでもフェリポン監督は「ドアはまだ開いている」と語り、ブラジル人選手全てにまだチャンスがあると語っている。W杯ではここからさらにどんなマジックが起こるか。