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サントス日本人会=〃手作りの学校〃で生徒増=強制立ち退きから70年=再開5年目で百人超える=日系、非日系繋ぐ拠点に

ニッケイ新聞 2013年7月12日

 ちょうど70年前の1943年7月8日、ブラジルと米国の貨物船5隻がドイツ潜水艦に撃沈されたことに端を発し、ブラジル連邦政府はサントスなど海岸地方に24時間以内の強制立ち退き命令を突然出した。その時に閉鎖・接収されたサントス日本語学校校舎は陸軍の所有とされ、度重なる同地日本人会の返還要求によって、2006年にようやく建物の使用権が復帰した。その後、改修工事を終え、日本移民百周年を記念して皇太子殿下のご訪問まで受け、08年に日本語教室が65年ぶりに再開された。この念願の日本語学校開始から5年——その後の様子を聞いてみた。

 日本語教室開始当時の08年、生徒数はわずか5人だった。92年にJICAシニアボランティアとして渡伯して永住した中村明人さん(当時は日本人会役員、現・秋田県小坂町議)が中心となって始まったという。
 当初から指導に携わる女性教師は「指導体制も確立しておらず、手探りの状態だった」と振り返る。翌09年にはJICA青年ボランティアの派遣が始まり、2011年頃までには生徒数は30人程度まで増加。現在は5〜11歳までが参加する子どもクラス、14歳以上の一般クラスを合わせ、100人以上にまで増えた。6教師が週6日体制で指導にあたる。
 青年ボランティアとして2011年から日本語教師を務める寺薗佑介さん(26、神奈川、6月末に任期終了し帰国)は「ルールに沿った指導ではなく、何でも個人に合わせて考えることを意識している。一般にある語学学校とは違う、より柔軟なカリキュラム作りが、全くゼロの状態から学びたいという層からの人気につながったのでは」と生徒増の要因を分析する。
 指導にあたる日本語教師らは「個人の目標に合わせた授業作りがこの教室の魅力」と口を揃えるように、掲げるテーマは『手作りの学校』。
 先の女性教師は「生徒一人一人は、それぞれ違った目標や動機を持って日本語を学び始める。それの手助けをするのが私たちの役目。人と比べる必要はないから〃落ちこぼれ〃という概念がない」と話す。
 特に非日系の生徒が多い一般クラスについては、入門、初級、中級と習熟度によってクラス分けが行われるものの、クラス内でも個人によって教材の進度はバラバラ。4〜5人の少人数のクラスで授業を行うことで、それぞれの要望に応対しているという。
 現在では受講者100人のうち非日系人が半数以上を占める。かつて枢軸国の敵性国民の財産として接収されただけに、非日系の日本文化理解者を増やすことは、恒久平和を願う現地日系人の歴史的祈願といえる。
 今年3月に就任した関谷アルシデス同日本人会長は「日本語や日本文化を当地に残すため、活動は非常に重要。若い人たちと話し合い、良い教室にしていきたい。日系と非日系をつなぐ拠点にもなるはず」との期待感を込めた。