ニッケイ新聞 2013年7月13日
リベルダーデの「七夕祭り」のゴタゴタ騒ぎには—呆れ果てる。これまでに30数回も宮城県人会と仲良くやってきたのに何を今更の思いが胸奥に浮かぶ。飾り竹の代金がどうのこうのとかの子どものお遊びのようなつまらないことが捩れてしまっての「諍い」らしいけれども、もっと大人の付き合いができないものなのか。あの「七夕」については、若かりし頃の筆者もちょっと関係しており、いささか恐縮なのだが—▼今やサンパウロの名物にもなった「七夕」は、ガ・ブエノの顔だった故・水本毅氏との雑談から始まった。世間話をしているうちに「この街をお祭り広場にできないか」となり、筆者が「仙台の七夕」がいいのではないかと話したのがきっかけとなり、宮城県人会の大橋鉄雄会長に連絡し水本氏と会った。そのときに大橋氏が「これはいい。七夕移民だ」と喜び、早速 仙台へ旅立ったと記憶する▼水本氏は、あの街の繁栄のために「東洋市」を開くことに力を尽くし、今の「東洋会館」も水本氏がガンを患い治療をしながら「これが最後の仕事だ」と語り完成させもした。こうした街づくりの礎が花開いているのが現在であり、「七夕」もその一つだし、あの吹流しと飾りは「仙台文化」いや「日本文化」の紹介であり伝承をも願ったものと理解したい▼数年前、ACALの池崎博文会長が、「七夕」を意匠登録したとかを耳にし、異な事をするな—と思いもしたが、牽牛と織女姫が年に一度の出会いを祝うあの催事は「文化」であり「阿堵物」とは余り馴染まない。一刻も早く、ACALと宮城県人会の握手をと願いたい。(遯)