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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 9=ベルナルド・カルバーリョ=『陽はサンパウロに沈む』=中田みちよ=(3)=デカセギの日本は地獄か

ニッケイ新聞 2013年7月27日

 なぜ、ミシマが出てくるのか、その必然性に悩みながら、作者をルポライターとして捉えると分かりやすくなります。フォーリャ・デ・サンパウロ紙で文芸欄を担当したり、パリやニューヨークの通信員をやったりしているので、50年代に三島由紀夫がサンパウロの奥地に滞在したことも、その滞在中にヒントを得て「不満な女たち (昭和28年、文芸春秋。この稿のために探し出して読みましたが、三島の才能に疑問符をつけました)」という小説を書いていることも、そこに有閑マダムとして描かれた婦人が後に大変傷ついたことも事実として存在したことを調べているんですね。
 『・・・つよい葛藤が感じられたのがミシマの本について述べたときだった。ずいぶん前に読んだことであり、私が知っている日本の作家についての質問に答えると「自分の言葉もたないものは作家ではない」ミシマについていっているのか、わたし自身についていっているのか。それが何を意味するのか、理解できなかった』
 二、三世が日本へ出稼ぎに行くときの心境を日系ではないベルナルドが陳述するのもおかしなものですが、それが正鵠を得ている。中里オスカルの『Nihonjin』よりも説得力があるんですから不思議です。筆力の差でしょうか。
 そうそう、ベルナルドも2004年に著書『モンゴル紀行』(Mongolia)でジャブチ賞を受けています。
 『消えてしまった両親の夢。同化したわれわれ三世やその類を無知な出稼ぎ者として日本に向かわせ、ときおり隙間から顔をのぞかせる屈辱感。そして、今また、日本の文学(たとえ原文では読めないにしろ)が、まるでわたしに殺された誰かの魂のようにまとわりつき、出口(あるいは刑務所)をさし示す野心となってゆさぶる』
 『習慣も言葉も失ってしまったかもしれないが、父祖の血はわたしたちを呼んでいた。20世紀のはじめ、祖父母がパラナの奥に逃れたかった屈辱がまるで蜃気楼のように蘇ってきた(神戸の港から出発するときに役人がいった、外国に行って日本国の名誉のために、死んでも敗残者となって帰国するなという言葉で移民たちはもう一度屈辱を受けるのだ)』
 1990年代に入ってほとんど猫も杓子も日本へ出稼ぎが行くようになった時勢、それを上手に取り入れています。ネットカフェー。シャワーを浴び、夕食(自動販売機のインスタント食)、カフェのキャビンのなかでネットを検索しながら寝るなど、日本に滞在したベルナルドが実際に体験したであろうことが、場面として盛り込まれているのです。旅しながら作品を書くベルナルドの姿勢、視点については語り手に託しています。
 『旅というのは緊張させる。他者には見えないものが見える。別に他者より真実が見えるということではなく、単によく見える。あるいはよく見えない・・・。いずれにしろ、その見えるものが他者のとは決して同一ではない。作家には理想的な状況である』
 『わたしはひところ、すべて日本と名のつくものから、まるで十字架に追いかけられる悪魔のように逃れようとしたことがあった(そこから日本文学への拒否と無知が萌芽するのだが)。地獄のようなところだと信じていたから、わたしは日本の土を踏む必要も感じなかった。強硬なわたしの反対にもかかわらず、妹が向こうにいくことを決意し、祖父母たちがやってきた道を逆の方向に向けて、サンカルロス(父親の照明会社を失ってから)在の大学教員の席をすてて名古屋の自動車社工場の現場工員として出発したとき、わたしは悪夢に取り押さえられるのを感じた。それは誰もとり除くことができない感覚だった。地獄はこの地だった。何か月か妹とは口をきかなかったが結局、現実の前にお手上げした。』(つづく)