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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 10=中里オスカル=ジャブチ受賞『NIHONJIN』=中田みちよ=(7)=移民が通過してきた道程

ニッケイ新聞 2013年8月8日

 ハルオはトッコウタイの二人がいらだっていることがわかった。彼らにははなから会話する気などないのだった。
 「大和魂に反する行動をした」と、もういちど手紙の中の一節をくり返した。
 「もう一度頼む。弁護の権利を認めてくれ、裁判を求める。帰って君たちを派遣した人間にそう伝えてくれ」
 「われわれは任務を果たさずに帰るわけにはいかない」
 洗脳された無知なトッコウタイに殺されるようなことも、腹切りをしなければいけないことなどしていない、こんな犬死などできるかと、ハルオはドアに向けて走り、ベランダで待機していた別のトッコウタイの弾丸を浴びて死にます。ハルオの死後ヒデオはこんな風になりました。
 『ハルオの死後、何にも関心がなくなった。球場に行って野球の試合を見ることも、早く起きてコンデ・デ・サルゼダスの店を開けるのもおっくうで、おばあちゃんが作る味噌汁も味がうせてしまった。シンドウレンメイの会合にも顔を出さなくなってしまった。日本が真実、負けたことが一般的に認知されたとき、勝ち組は全員士気喪失し、人生の意味を見失ってしまった。ハルオの死は更なる重荷となってのしかかり、これを背負いきれないと思われた。
 しかし、日が過ぎ、週が過ぎ、月が過ぎると、小さな喜びがもどってきた】 
 7章は、出稼ぎに行くノボルの章です。猫も杓子も出稼ぎにいき、日系社会が空洞になったといわれた時期があり、ブラジルのさいはてと考えられるようなロンドニアなどからも、結構いっています。かつて開拓地を求めて、ブラジルのどんな辺鄙な土地にも進入していった日本人。今度はまた、そんな辺境にまで足を伸ばす出稼ぎ斡旋人がいるんですね。
 そこで思い出されるのが、かつて、移民を募って日本の各地を歩いた移民斡旋人がいたことです。笠戸丸移民のだれが、自分の子孫が日本に出稼ぎに行くなど考えたでしょう。また、BRICsといわれる時代が来るなど誰が思い描いたでしょう。人知の及ばない大きなサイクルがめぐっている。これを私は天の意志だと考えます。
[ ハナシロ叔父は日本行きをきいてきた。大学の卒業証書をもつ人間が一介の労働者として、工場で働く。それがホントに望むもことなのかと。私はそうだといい、別に早計ではない。私をよく知っているはずだ。用心深い男だからこそ、妻も子どもいる自分はこうするより方法がなかった。私は三〇分ばかり話しつづけ、おじいちゃんは話すのに疲れて黙って私たちの言葉を拾い集める観察者になっていた。そして時々咳をした]
 「おじいちゃん、日本から何か送ってやろうか」
 「なんの、日本の何がほしいものか・・・」
 「おじいちゃんの故郷だろう」
 祖父は目をあげた。
 「ふるさとか・・・もう、わしの故郷じゃないよ」
 しばらく黙った。たぶん、失ってしまった過去に故郷を探していたのかもしれない。
 【こんなふうに絆から解き放たれて、沈黙の中で充足し、沈黙を守るのだった。腕も足も動かさず、称えたいような静かな朝で、馴れたそよ風が気持ちよく、隣家のやわらかい柳の枝がものうげに私たちのいる庭に下がってきている。自然がこの時のために選んだ一瞬だった】
 今度、実務一辺倒のわが家の息子たちにもポ語版の「にほんじん」をプレゼントしよう、と考えています。身につまされてるはずです。
 日本語訳が完成し、ブラジル日系文学誌44号から中田みちよ・古川恵子の共訳で掲載が始まります。ぜひ、読者諸氏にも目を通してほしいと願っています。かならず、心の琴線に触れる箇所があるはずです。文学的価値うんぬんというより、移民が通過してきたひとつのマルコ(里程標)として読んでほしいと思うのです。(終り)