ニッケイ新聞 2013年8月8日
片島さんは「不妊治療のような最先端の技術は、いつも法律から少しはみでた所にある。法律は後から付いてくるもの」と言う。不妊治療は、まさに法律と現実とのせめぎあいの中にある。
卵子提供では、提供する女性もホルモン剤を飲むなどしなければならず、体に負担がかかるため、ボランティアでは十分な提供者が確保できない。
だから事実上、報酬を与えて卵子を確保する病院もあれば、凍結していない卵子を使った場合の成功率が高いことから、匿名の原則を無視して、卵子提供者と卵子をもらう人が生理のサイクルをあわせる病院も存在するという。
「経済格差も大きいから、例えば会社で働く日系人にお金を払って、卵子を提供してもらうということも出来てしまう。それも、日本の人には知られずこっそりと」。大学の法科で学んだという片島さんは、そんなジェイチーニョを耳打ちし、「全てを法律で細かく縛ることが、正しいことかどうかは分からない」と意外な一言を放った。
それは、どんなに最先端技術を使っても妊娠しない人もいれば、50歳を目前にしていとも簡単に妊娠する人もいるという、「数字で説明できないことが日々起こっている」不妊治療の現場を目にしてきたからこそ、出てきた言葉だった。
何十体もの聖人像が並べられたハンチントン病院の小庭の手洗い場には、医師たちが目を潤ませながら祈る姿があるという。10年前、片島さんは、〃生命を操る〃授精ラボの職人である医師たちの、そんな「宗教心の強さ」に心を打たれてボランティアを引き受けようと決めた。
彼女は今、「妊娠には、最後の一さじに絶対神の力が入っている」と強く信じているという。そして、「私は、そんな仕事は、人の作った法の枠を超えてもいいんじゃないかと思うようになった」との複雑な胸中をもらした。
取材をしていて、医師たちは実際、法律にはあまり精通していないように見えた。というか、「それほど法律を意に介していない」ようにすら見えることもあった。彼女はそれを、「ブラジルのお医者さんは、不妊治療を『人助け』と思っているから」と説明する。
例えば米国は、早くから卵子バンクを作った不妊治療先進国だ。合理的な米国らしく卵子も精子も売買できるが、訴訟社会なので、違法なことは一切タブーだ。カトリックの総本山ともいえるイタリアにいたっては、宗教上の理由で卵子提供自体が認められていない。
そのような世界的な状況の中で、法律に照らせば「違法」なはずの行為も、「人助け」になるなら黙認されるブラジルを、彼女が「不妊治療天国」と呼ぶのは、たしかに腑に落ちる部分がある。
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キリスト教が色濃いブラジルや北米、欧州は、崇める神は同じはずだが、〃神の領域〃に踏み込む不妊治療には、それぞれの国民は様々な判定を下している。同じキリスト教国でもカトリックとプロテスタントの間に横たわる溝は、不妊治療に関して思いのほか広く、そして深い——。
結局、可否の判定を左右するのは国民性なのだ。日本は慎重な歩みを続けており、規制はしばらく緩みそうにない。今後、ブラジルの状況が国の発展に伴いどう変化していくかは未知数だ。しかし、国民性が大きく変化しない限り、まだしばらくは〃天国〃が続くのではないか。(おわり、児島阿佐美記者)