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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第136回

ニッケイ新聞 2013年8月13日

 平壌の案内員は平然と包みを開いた。その横に仁貞はにじり寄り、地元の案内員にわからないように百ドル紙幣を握らせた。
「どうか今晩は三人だけで、この家で過ごさせてもらえまいか。この年でもう車に乗る気力もない。二度と共和国に来ることもできないかもしれない。だからお願いだからここで一晩過ごさせてくれまいか」
 案内員は何も言わずに承諾した。
「明日八時に迎えに来ます」
 こう言って、地元の案内員と車に乗り込み帰って行った。
 自由に話ができるようになったのは、それからだった。朴寿吉も文子も堰を切ったように、共和国にきてからの出来事を話し始めた。
 一家は共和国に着くと同時に信川に連れて来られ、ここで政治・思想学習を受けた。しかし、それは強制労働以外の何ものでもなかった。慣れない畑仕事や道路建設に駆り出された。一緒に共和国に帰還した同胞とも連絡は断たれ、自由に出歩くことさえ禁止された。
 来る日も来る日も、学習という名目の強制労働。容福はそれでも二年間はその労働に耐えた。
「兄さんは言葉さえ覚えてしまえば、医師としての道が開けると信じ切っていた」
 文子が嗚咽を漏らしながら母親に打ち明けた。
 二年間、寿吉も文子も黙々と働いた。
 言葉を自由に話せるようになると、容福は信川の党員幹部に医学を学びたいと訴えるようになった。
「日本で医学を学んできたから、その技術を人民のために活かしたい」
 しかし、平壌の大学で学べるのは党員幹部や高級軍人の子弟だけだ。北朝鮮の人民は「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の三大階層に分けられ、日本から帰還した同胞は「動揺階層」に含まれ、差別的な待遇を受けている。
「そんなことはわからないから、兄さんは必死に頼み込んだ。その結果が強制収容所に送られてしまった」
 日本を離れて三年目に容福の夢はズタズタに引き裂かれていた。それどころか収容所に送られて半年後には遺体が家族の元に届けられた。
 沙里院に国家安全保衛部第七局が管理する管理所がある。第七局は農場指導局で、容福は朝から晩まで過酷な農作業を強いられた。
「枯れ木のように痩せ細り、体中に青痣や傷があった。拷問を受けたとしか思えない」
 寿吉が初めて口を開いた。
「俺が帰ろうと言わなければ、今頃は日本で医師になっていたに違いない。息子を殺したのは俺だ」
 その後の二人の暮らしは、悲惨の一語に尽きた。ただただ働くだけの日々で、配給される食料だけで生き長らえているだけだった。
「結局、日本から帰還した同胞は、朝鮮戦争で荒廃した国土を建て直すための労働力として利用されただけだ」文子が言った。「幸代にも、もう一度会いたかったけど、オモニにも会えたからこれで思い残すことはないよ」
 文子は自殺をほのめかすようなことを口にした。
「バカなことを言うもんではないよ。娘のお前が先に死ぬなんていうことが許されるはずがないだろう」
 仁貞は首から下げていた財布を取り出した。
「いいかい。これは幸代があんたたちにと託したお金だよ」
 幸代が銀行で換金した百万円は五千ドルになった。新札ばかりの百ドル紙幣を二人に渡した。
 寿吉と文子が震えながらドル紙幣を握りしめた。
 話に夢中になり、段ボールの紐も解いていなかったことに仁貞は気がついた。いつの間にか夜が明けていた。
「案内員がこないうちに箱を開けておくれ」
 箱から取り出された衣類や薬品を手にしながら寿吉が言った。
「俺たちが心から感謝していると幸代に伝えてくれ」
「オモニ、これだけあれば私たちは二年生きていかれる」(つづく)


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