第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(65)
ニッケイ新聞 2013年8月14日
▼7月31、8月1日
パウリスタ延長線オズワルド・クルースで、日本人多数、暴徒と化した住民に襲われ、負傷。一人死亡。
▼8月10日
パウリスタ延長線マリリアで、認識派の平田良博、銃撃され死亡。
銃撃者、伊藤健一。
▼8月10日
パウリスタ延長線ツッパンで、敗戦派の渡辺某、狙撃さる。
狙撃者、不明。
▼8月11日
ノロエステ線ペナポリスで藤原栄次郎、狙撃され負傷。
狙撃者、不明。
▼8月14日
パウリスタ延長線マリリアで、認識派の三浦トオル、銃撃され、負傷。
銃撃者、猿橋俊雄。
▼8月中旬
ノロエステ線ブラウーナで戦勝派グループ、
警官と銃撃戦。
▼8月16日
パウリスタ延長線ツッパンで、認識運動推進者の岡崎司三、射殺さる。
射殺者、加藤幸平。
▼8月16日
パウリスタ延長線ツッパンで、認識派の新田実、射殺さる。
射殺者、平間俊男。
▼8月16日
パウリスタ延長線ツッパンで、認識派の大原守郎、撃たれ重傷。
銃撃者、宮原昇。
▼8月20日
奥ソロカバナ線アヴァレーで、認識派の岡本良平、狙撃され反撃。無傷。
狙撃者、古川九十九ほか二人。
▼8月30日
ノロエステ線ブラウーナで、敗戦派の田白タケジ夫妻、襲撃され負傷。
襲撃者不明。
▼10月1日
ノロエステ線ペナポリスで、戦勝派の島野並路、警官と認識派自警団に銃撃され死亡。
▼11月
ノロエステ線ブラウーナで、戦勝派の鉄矢ジロウ、警官と認識派自警団に撃たれ、死亡。
これらの事件は、1946年の3月から11月までの9カ月間に、次の4地方で発生している。
パウリスタ延長線
ノロエステ線ビリグイ方面
ノロエステ線カフェランヂア方面
ソロカバナ線
いずれも当時の日本人の大集団地で、サンパウ州内である。
ただし全て資料類の記述であり、内容の正確度には多々疑問がある。認識運動が原因かどうか疑わしいケースも、幾つかある。
なお、7月31から8月1日にかけて、オズワルド・クルースで起きた暴動は派生的な事件である。
溝部事件に異説
さて、右の、地方で起きた事件を洗い直した、その結果であるが──。
先に断った様に、洗い直しはごく一部しかできなかったが、それを記す。
最初の、1946年3月7日のバストスの溝部幾太事件、これには既存の説以外に、異説があることが判った。
バストスでは襲撃以前に、認識派に対する脅迫状が町に貼り出された。その宛名数人の筆頭に溝部の名があった。
彼は、終戦以来、敗戦認識を唱え続けており、戦勝を信じる人々を激怒させていた。
襲撃後「溝部、今日の醜骸は敗戦論者の明日の姿なり」と大書した紙が、またも町に貼り出された。
襲撃者は、当時は不明であった。が、翌1947年5月、アンシエッタ島に拘置されていた戦勝派の山本悟が自首して出た。山本はバストスで野菜作りをしていたが(溝部事件とは関係なく、四月一日事件後の)警察による戦勝派の狩込みで拘引され、島へ送られていた。
自首したことで、襲撃者は山本悟、動機は認識問題ということになった。
これが既存の説である。筆者も改訂以前の『百年の水流』で、そういう趣旨の記事を書いた。
が、その後「それは違う」という声を耳にした。「やったのは山本ではなく、動機も認識問題ではない。襲撃者は別人で、溝部が経営の采配を振っていたバストス産業組合の内部で起きた内紛が原因だ」というのである。
概略、次の様な内容である。(つづく)